久しぶりのツラツラ
久しぶりにnoteを書いてみようと思ったら、ちょうど一か月振りだった。
4,5か月くらいだったろうか。毎日note投稿に励んでいた。
書く習慣をつけたいとずーっと思っていたが、思っているだけで全然出来なかったのに、実際始めてみたら案外できた。
それは自分自身驚きだった。
いつも必ずとは言わないが、頭の中のことを書き出すととめどなく流れ出す。ダラダラとグルグルと。
そのうちに無理して毎日でなくてもいいようにだんだん思い始めたが、今度はやめることができなかった。
私には引き下がれないところがあるのだ。
だって毎日続けられてるって普通にすごくいいことだと思うし、だったら続けた方がいいよね。
でもこれって私の声というより、私を外から見た私の声。
こうあった方がいいという、私が作った自分を自分に課している声なんだ。
以前のnoteでも書いたことがある、きっとこれは「じゃなきゃ病」ではないか。
とはいえ継続についてどう考えたものか、それも考えてしまった。
継続って自分を律してこそできることで、だからこそ自分への自信へと繋がる。「私こうやってできる!」 そんな風に。
いやいや好きだからこそできる継続こそ、私の求めていることでは?
などなど頭を巡る。。。
でもそういう意味では、やればできるんだという自信にはなった。
半年もいかないたかだか4,5か月で、という気もするけれど、
でもある意味満足したところはある。
それと継続する意味が、目的が自分ではっきりしていないことが何よりあのボヤけた感情を招いたのだろうな。
ただ、noteは一旦止めたのだけれど、書くことは結局は止めなかった。
9月半ば「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本を読んだ。
最近なのか続編が出て巷で割と流行っているらしい。
私も本屋で偶然見つけて、今後の人生を考え彷徨う私はまんまと惹かれて買ったのだった。
その中に「モーニングページ」というワードで紹介されるのだが、毎朝A4用紙に3ページ、誰にも邪魔されず、自分自身にも理性で検閲させることを許さず、心にあることを自由に書きなさいと書いてある。
それを続ければ、自分の本当の声が聞こえ、自分の創造性が花開くというのだ。
それを読んで、私は「そんなこというならやるわ!」と始めてしまった。
私はそういうインプットが好きで、案外自分だけで済むことであれば、そういう時は始める。
以前「モーニングメソッド」という本を読んで、朝活を始めた時のようだ。
で、やってみて思った。
あれっ、note書いているのと一緒なんだ。
誰にも見せないから、もっといい加減で支離滅裂ではあるけれど、ただ私がやりたい目的は同じだ。
このnoteを始めたのだって、私の中から何が出てくるのか、それを自分で蓋を開けて見てみよう。そんな感じだ。
結局期待していることは同じで、形を変えただけで、noteをやめて以来も私は同じ事を続けていた。
そして思う。
あー、あんなに習慣にしたいと思っていたのにできなかったこと、
「書く」ということを私は続けているんだなぁ。
そしてそれは苦なく続けていた。
今、それで自分の中から何か答えが見つかったわけではない。
私の創造性が花開く日がくるのだろうか???
と疑問でしかない。
ただ私がやりたいことはおんなじだった。
私の中を外に出して確認したい。
私が私を知りたいのだ。
noteも決して止めたいわけではない。
ただ「じゃなきゃ病」からは解放しながら、やりたいようにやっていこう。
いずれにしてもこの旅は続くのだ。
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