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はみだしたい
今日も子供の頃を振り返る。
保育園、小学校、中学校、高校と普通に私も子供の頃から社会集団に属してきた。
でも、私はどう考えても決してそういう場が大好きな子ではなかった。
だから、私が今のような状況で子供だったら、学校が休みになったりすることを案外面白く楽しく受け止めていたのではないかという気がする。
学校大好きで、行くのが楽しみなんて子もいっぱいいるから、このようなちょっとネガティブな気持ちは出しづらくて、大人になるまで言った事がなかった。
特にいじめを受けた訳でもないし、すごーく嫌な思いをしたとかそういうことでは全くない。
いわゆる普通の子で、外から見たら普通に楽しんでいるように見えたと思う。それなりに周りに合わせてやってきた。そして基本的にいい子で自分自身いい子であろうと間違いなくしていた。
学級委員をやったり、生徒会をやったり、そんなこともやっていた。
決してリーダーシップを取るのが得意なタイプでもないのに、そんなことをやっていた自分を何だったのだろうなと不思議に思ったりする。
ただそういうのをやるのがいい子だと思っていたからに過ぎない。
そういうもの、それがいいこと、そんなに好きでもないのに、世の中ではそれがいいらしいからと、自分を合わせてやっていく。
みんなそうやって大人になっていったのだろうか。
高校生になった時、なぜか私は急に勉強をしなくなった。
中学の時は近所の仲の良い子からいつも「Maiちゃん、やった?試験どうする?」と知らず知らずに発破をかけられて、それで一緒にやるという環境が自然に出来ていたから、勉強していたのかもしれない。
高校に入って、どうしてか勉強しない側の人に入ってみることをどこか私は楽しんでみたところがあった。
「赤点とっちゃったー」と言うそういう自分を面白がっていた。
私の学校はとにかく自由で制約がなく、生徒を相当放任しているような校風だったし、そういった意味でも勝手気ままだった。
そうしてそのうち選択授業になると、クラスでの出欠が少しわかりにくくなったことをいい事に、私は学校をサボり出した。
そうは言っても、どうやっても私はいい子で、別に道を踏み外したのとも違うのが少し可笑しい。
ただ朝、家を出て図書館や、マックなどでただ時間を潰していた。しかもそこで友達に借りたノートを写したりして、自分なりに学校についていこうとはしていた。
そうして、部活だけはサボったらマズイと感じて、放課後の時間にのこのこと登校していた。
何をやっていたんだか、本当に不思議だ。
ただよく言っていた。「なんでみんな勉強するの??」「大学行ってどうするの??」
ウチの両親がほぼ勉強をしろということを言わない人達で、これまた教育に関して放任なタイプだったので、余計に呑気にそんなことを言っていた。
そうやってそんな疑問を抱き頭巡らせながら、みんなが普通に学校に行き勉強をし受験に向かっていくことを一人傍観していたような感覚がある。
でも内心焦りはある。
自分がそこにハマっていかないことはおかしいことは承知しているし、かと言ってなんともその気にもなれない。
ちなみに今考えても不思議なのは私の親は気づいていなかったのかということだ。
何の問題にもならず、出席日数のことで何か学校にも言われた記憶もない。
その辺りはやり過ぎないよう自分で上手くやっていたのか、実際ほとんど覚えていない。
なんかわからない枠の中で、その枠にハマらないとならない窮屈感。
かと言ってその枠から出てどうしたら良いのかわからない不安。
そんな中にずっといたような気がする。
そしてそれは今もそうなのかもしれないと思ってしまう。
今日もただこの事を振り返りたかっただけだ。
なんの答えもない。なんの結論もない。
ただ私の奥で何かが疼く。
これがなんなのかを知りたい。