わらしべ長者と私
ずいぶん前の事ですが、小学校で読み聞かせを行っていた時期がありました。
その時「わらしべ長者」を読んだんですが、「こんな面白い話だったのか!」と驚きました。
(一応警告:この先「わらしべ長者」のネタバレがあります!)
「承」の面白さがすごい
「わらしべ長者」は、ある男が「わらしべ」を元手に様々な物々交換を行い大金持ちになるお話。
そのくらいは基礎知識として持っていたんですが、改めて読むとこの、
「物々交換」
の部分が非常に面白い。
起承転結の「承」の部分ですね。わらしべがだんだん価値あるものに変わっていくくだり、ある意味繰り返しの部分です。同じことをやっていたのでは飽きられてしまいがちな箇所です。
「わらしべ」
↓
「わらしべ+アブ」
↓
「みかん3個」
↓
「上等な反物」
と、テンポよくアイテムをレベルアップさせた後に、
↓
「死んだ馬」
という、一見無価値なものに一旦レベルダウンさせることで、物語に緊張感を醸しています。
おいおい、そんなもんに取り換えて正気か!?と読者が不安になるだろう展開を挟んでるのが憎いです。
この手法、是非見習いたい!!
私はこの「承」の部分が非常に弱いんです。オチは決まっている、でもそこに至る道筋が見えない事がすごく多い。
ロクに経験を積んでないせいなのか、展開の引き出しが少ないせいなのか。おそらくどちらもでしょうが、要反省です。
意外に宗教的な背景のある話だった
そしてこの「死んだ馬」ですが、後に息を吹き返し「生きた馬」になります。
ここは、正直、ちょっと苦しいですね…。
読み聞かせを聞いていた子供たちの表情も「それアリ!?」みたいなものに変わったのを覚えています。
しかし読み返すまで忘れていましたが、このお話、割と「観音様パワー」みたいなものを全面的に採用しているお話だったのです。
そもそも主人公のファーストアイテム「わらしべ」は、夢で観音様が与えたものです。
貧しく明日への希望が持てない主人公に、観音様が「目を覚まして最初に手にしたもの、それを大事に持って旅に出なさい」と託したものだったのです。
主人公は「これがきっとおいらを幸せにしてくれる!」と信じて疑いません。
妙に都合よく物々交換が進むのも、「わらしべ」という取るに足らないもの、ゴミみたいなものを、一点の疑いもなく「神の恵み」と信じた若者の信心深さへの、観音様からのご褒美のようなものととらえることも可能でしょう。
なにしろ神の恩恵があるのですから、馬くらい生き返ったっていいわけです。
なんにもおかしくない!!
(でも子供たちには「仮死状態だったのかもしれないね」と言い訳をしてしまいました)
わらしべはしまっておいちゃいけない
馬といえばどの時代でも非常に高価なもの。更なる物々交換を経て、主人公は裕福な暮らしを手に入れてお話は終わりです。
さてこの「わらしべ長者」ですが、ビジネスの基本として引用される事もあるようです。
このお話では、主人公はわらしべを加工(アブを結び付けて付加価値をつける)したり、需要のあるタイミングで積極的に交換を行います。時には自分から「あそこには需要がありそうだぞ」と営業をかけに行くくだりすらあるのです。
この主人公は、観音様が「大事にしなさい」と託したわらしべを、非常に積極的に活用しているのです。
ここに、私は感銘を受けました。
もしも私が、この主人公だったら、このわらしべを大事にポケットにしまい込み、誰にも見せず触らせずにいるだろうと思ったからです。
「大事にする」という事の解釈が、私とこの主人公で違うのです。
私はしまい込み、主人公は積極的に活用する。
結果主人公は多くの人を幸せにし、自分も幸せになる。
もしも私がこの物語の主人公だったとしたら、「神のわらしべ」を後生大事にしながら、「全然幸せにならないなぁ、観音様の言う事もあてにならない」なんて愚痴りながらバッドエンドを迎えることでしょう。
このわらしべって、なんなのでしょうね。
ビジネス的に考えたら、「お金」「資金」みたいなもののメタファーになると思います。
しかしここではあえて、「才能」と考えてみることにします。
もしも、神様から与えられた才能があるのだとして、それをしまっておくのは、たぶんよくないんです。しまっておけば、目減りもしません。でも、わらしべはわらしべのまま。
積極的に磨き、工夫し、世の中の人を少しでも幸せにするために、勇気をもって使ってみたほうがいい。「わらしべ長者」は、そんなお話にもとれないでしょうか?
それは一旦、死んだ馬のように、「失敗したなぁ」みたいな残念な展開になるかもしれない、でも交換の過程で幸せになった人は、確かに存在するんです。行動しただけ、何もしなかったより、わらしべがわらしべのままでいる世界線よりも、それは価値がある。
そんな風に私は思うのです。手元のわらしべをにぎりしめながら。