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空白の十数年~あんこ編~

他の編もいつか生み出されるかもしれません。
なんでもわたし、幼少期はあんこをばかすか食べていたらしいのだが、記憶にある限り小学生以降~ごく最近まであんこが苦手だった。苦手、口に入れるのも躊躇する(高校生くらいまで)→食べられんこたないけどできれば避けたいしうにゃうにゃ(長めの期間)→好きかも?(1年前)→好きかも!(半年前)みたいな変遷を辿ったのである。あんこ、かわいい発音のくせしてなかなか手ごわい。

まずなぜ苦手だったのかというと、甘すぎるから。あんこの良さってあの純粋な甘さ、だれがどう逆立ちして食べても甘いという評価を得られる一定の味わいではないだろうか。それが良くて、疲れた体や心に染みわたるのだが、なかなかあの強い甘さを受け入れられなかったのだ。「甘いですよ!!!!!」が舌に飛び込んでくる感じで、舌のほうは「あ~甘いんだろうな~……甘っ!わかったわかったもうわかった」とお手上げしてる感覚。

甘さひかえめのあんこを使った和菓子もあって、でもそういうのも好きになるのに時間がかかった。やっぱりあの小豆のまめまめっとした風味に甘さがついているのがどこか苦手だったのだと思う。本来甘くないものを甘くしましたみたいな味、たとえばフルーツ人参や人参のグラッセ、黒豆、うぐいす豆のような、既成概念としての素材の味に上乗せされた甘さ、のようなものに対する抵抗感。今ではだいぶ克服したはずだが、ずんだとかは脳内で既におつまみ枝豆がルンルンしているのでちょっと身構えてしまう。

京都に住んでいたのにあんこが苦手なまま大学生活を送ってしまったのは、今さらながらとてももったいなかったなと思う。あのときは、あんこを克服することはなかろうと踏んでいたので全然痛くもかゆくもなかったけど、今はこころが……うぅぅ……
かといって全くあんこ系を摂取せずに京都をぽこぽこ歩いていたかというとそうではない。というかあの土地でそんな偉業は成し遂げられない。人も歩けば和菓子に当たる地域だし、抹茶スイーツを頼もうものなら8割はあんこが鎮座している。

で、そのときは食べられない、のではなくて、口に入れて一瞬おいしいかもとは思うけれどやはりあんこはもういいわ、という感じだったから、そこそこいろんなものを食べはした。阿闍梨餅は小さめだったしふつうにおいしかった。出町ふたばの豆大福は、求肥にほんのり塩気があったのもあってすんごいおいしかった。わたし大福いけるじゃん……!と過信したものだ。あの大行列を乗り越えた先に得られる甘味、クセになるわねこれは……としみじみした。

最近はおいしくいただくのだが、それはあんこが大量でない場合での話であって、一定ラインを超えたら、あっもういいかも……となってしまう。胃もたれならぬ舌もたれである。そんなのあるんか? というかこれは果たして「好き」と言っていいのだろうか? あんこに対して失礼なのではないだろうか? 来世はあんこの下で働かされたりしないだろうか?
アンパン、おはぎなどはどうしても大きく見えてしまって、なかなか手を出せていない。そういうものもペロリと平らげてこそ、真にあんこが好きです、と言えるのかもしれない。好きってむずかしいですね。


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