受動的に自己を開く8
11/16(火)
月・火は、展示も事務所もお休み。
水曜からの活動をどうするかや、12月の展示のことなど、少し頭を整理。だんだん不安になる。メールで、I松さんから12月の展示プランの提出の催促が来た。まだ、基町に通い始めて合計一週間くらいだし、もう少しモタモタしたいけど、そうもいかなくなってきた。一応、基町に通うことで、いくつかのプランは浮かんできたが、どれも、しょうもない。全然ダメだという気がしている。だけど、誰かに働きかけるような要素が作品に含まれている時は、重い腰を上げて行動してみると、思いもしないことが起こったりして、上手くいくこともあるので、最後の一週も頑張らなくては。
僕が今基町でやっている、土粘土を持って歩き、声をかけれそうな人に「土粘土で一緒に器をつくりませんか」と尋ねるワークショップ的な活動(なんじゃそら?)は、まだあんまり上手くいっていないのだが、これは最後まで続けるつもり。水曜からも引き続き行う。それから、3分程度のショートフィルムをつくってはどうかと考えている。時間がないのでどの程度できるのか不安ではあるが、これも陶芸に関する映像にしようと思っている。今日は、そのための絵コンテをつくった。今まで僕が制作してきたような自作自演系の映像になる予定だが、陶芸に参加してくれた方にも少しだけ簡単な協力を得たいと思っているので、少し今までとは違う要素も入ってくればと思う。水曜からはそれの根回しやお願いなどもしなくては。
午後になって、あと少しで会期が終るが、陶芸を焼くには焼く前に、土を乾燥させなくてはいけない。しかし、会期後半で陶芸に参加してくれた器は、土の乾燥不足で割れてしまう可能性があるのではないかと思い始め、焦りはじめる。とりあえず、展示は休みだが今日も基町へ行ったほうが良いような気がしてくる。
15時頃。土粘土を持って基町へ。ぶらぶらしたが、目当ての場所は閉まっていた。先日も行ったカフェにとりあえず行く。コーヒーを注文。店内にある本を見てみると、基町に関連する書籍が置いてあった。「ばっちゃん ~子どもたちの居場所。広島のマザーテレサ~」という本。この本については、基町の中国人コミュニティにアクセスできないかなあと思い、中国のウェブサイトを検索していた時に、“基町”と入力すると一番上に表示されていたので興味があった。コーヒーを飲みつつ、この本を読む。このマザーテレサと呼ばれていたばっちゃんは基町で長い間、子ども達に無償で食事を提供し続けていた人だ。非行に走ってしまった子ども達を支え、多くの子ども達を救った。この本は、この方を特集したNHKのドキュメンタリーを制作した人が書いたものだった。その為、誰かを映像で切り取るということの難しさやもどかしさ、悪いことをしているような感じ、という制作サイドの苦悩も文章になっている。読んでいると、なんだか、僕が美術で人と関わるような作品をつくる場合の気持ちを代弁してくれているような気持ちになってきた。すでに素晴らしい活動をされている人はいて、その人達を切り取ることで何かをしようとしているという負い目が、最初からあとがきまで、時々登場するのだが、「8年間の取材」と確かどこかに書かれていた。それと比べ、僕はまだ一週間程度。ああ、僕はさらに酷い関わり方をすることになってしまうのではないか、、、と不安にかられる。制作は、時間ではない。時間をかけようが、かけまいが、作品は良いものは良いし、悪いものは悪い。だけれど、人と関わる場合、作品の発表以後も関係は続いていくはずだ。僕は、どこまでもその責任を負う必要がある。そう思ってはいるが、僕にそれができるのだろうかといつも逡巡する。僕の作品ごときは、ほとんど誰も気にとめないし、何の良いことも悪いことも起きないだろうが、地域で美術展をするということは、そうした責任が問われることなのだと僕は思う。
斜め読みをし終え、コーヒーを飲み干しお店を出る。もう一か所、よっておきたい場所があったが、そこも会いたい人がいなかった。そのまま太田川に行き、ベンチに座る。
今日は少し川の砂が見えていた。川辺に行って少し砂を採取。今回の焼き物は、七輪で乱暴に焼くので、割れるリスクが高いのだが、鍋土を使ったり砂を混ぜたりすことで多少急激な温度変化に強くなる。そのために、基町の砂を土に混ぜたいと思っていたのだが、いつ行っても水が満ちていて、採取できていなかった。別に基町の砂を混ぜなくても、どこの砂でも良いわけだが、陶芸というのは自然から生まれるものなので、なんとなくその土地の自然も混ぜてみたくなるものなのだ。広島では宮島焼という砂を付けて焼く焼き物や、原爆焼という被爆地の砂を混ぜて全国に送る活動もあったと聞いたことがある。乱暴に焼く場合、砂を混ぜて強くするのは一般的で、別にそれらを真似たわけでもないのだが、基町の記憶を、なんとなく土に混ぜ込んで、火で焼いて固め、閉じ込めておきたい。そういう心持ちはある。なので基町の砂を混ぜるというのは、僕だけにとって重要な手順なんだと思う。
その後、数日前にも行った、音楽の練習をしていた商店へ顔を出してみる。こないだ僕が来たときもちょうど来ていた、決まった時間にうどんを食べに来るというご夫妻の話し相手を若い男性がしていた。店主は僕と入れ違いで、配達に出て行かれようとする所だった。いつものように忙しそうにされているので、「何か手伝いますか?」と聞くと、今日は何か運びたいらしく、「ちょうど良かった」と言われた。残された若い男性は、お店の手伝いをされているように見えたので、店主の息子さんかと思い尋ねたが違った。小学生の時の地域のサッカー教室の先生とその教え子という関係らしい。さっき読んだ基町のマザーテレサを少し思い出した。その彼は、この商店で今年の2月から土曜日だけのバーを開いているらしく、そのためのバーカウンターを今日設置するとのこと。それで、たまたま来た僕の手が「ちょうど良かった。」ということだったらしい。それから、決まった時間にうどんを食べに来るお爺ちゃんは、ケイシロウさんと言うらしい。僕はケイイチロウなんです。と言って少しお話をさせてもらった。店主が戻ってきて、いくつか片付けをしスペースを空け、バーカウンターを設置する手伝いをする。店内には、ギターがたくさんあり、手作りなバーカウンターが設置されている。明らかに変な商店だ。「面白いことになっていってますね。」と僕が言うと、「店をのっとられよる。」と店主が笑って言った。サッカーの先生と教え子は、今でも関係を大切にし、お互いを気にかけながら、助けようとしているのだなと思った。今週の土曜はバーに来てみよう。オロナミンCを頂く。
帰宅。あ。そういえば、今日も結局、土粘土触る機会が持てなかったな。まあ。いいか。
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