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受動的に自己を開く10

11/18(木)
14時頃基町着。

今日もいつものカフェへ。いつも座っていた端っこの席が空いてなかったので初めてカウンターに座った。ビーカーみたいなのでコーヒー淹れてるのは、サイフォンってやつだとママに聞く。なんか聞いたことあるな。ママはだから「ここのコーヒーはおいしい」んだと説明していた。「他の所でコーヒー飲んでもたいしておいしいとは思わん。」「だけど、スターバックスはまあまあおいしいね。」と言っていた。スターバックスよりかここのほうが美味い。

しばらくコーヒーをしてたら、M98のMさんが僕がカフェにいると聞いて来てくれた。彼女は展覧会の記録も任されているようで、僕がここで陶芸をしていると期待して写真を撮りに来たようだ。コーヒーを飲みながら、ただ座っている僕の写真を一枚撮って戻った。いつか、この常連はいったい誰なんだろうと思われたかったが、僕が誰なのか分かったママは、カウンター越しに少しだけ話をしてくれた。子育てしながらカフェをやっていたことや、基町まで45年通勤していること、もともとはお母さんが基町でタバコ屋をしていたことなどを聞いた。M98は基町の歴史を調査しているので、僕も基町を調査している人だと分かったからだろう。オーブントースターが置いてあったので、コーヒー以外のメニューがあるのか聞いたら、15年前までモーニングをしていたと言っていた。パンも毎朝焼いていたそうだ。12時までモーニングを提供していたそうだが、遅く起きて来て昼頃にモーニングを頼む客を見ていると、悪い気持ちになってきたらしく辞めたそうだ。

16時ラジオ体操。
Iさんがコアの受付だったので、土粘土をやってみるか聞いたら、獅子舞をつくりはじめた。彫刻専攻らしく、とっても上手い。Iさんも基町団地の住人で、最近、昔使われていた獅子舞を9コアで発掘したことに貢献された美術作家だ。基町にファミマがあることを教えてもらった。確かにファミリーマーケットと書いてある。それから、先日灰皿をつくったおばちゃんも、もう一度つくりに来た。灰皿のおばちゃんは、小さい頃に原爆資料館へ行った時のことを話してくれた。昔の資料館は、皮膚がただれケロイド状になった様子の蝋人形がたくさんあったのだが、それを見てしばらく夢に出ていたと言っていた。当時は銭湯に行くと、火傷の痕が残っている人がたくさんいたそうで、その火傷痕と資料館の蝋人形とが重なり、いろいろと理解でき怖くなったのだろう。それ以来、20代後半くらいまでは、資料館付近にも近づくことができなかったと言っていた。僕もそれは少し分かる気がする。遠くからはしょっちゅう見えていた原爆ドームを間近で見たのは、30を越してからだった。

展示が終って音楽が聞こえていたので、いつもの商店に顔を出す。いつものうどんを食べるご夫妻も来ている。お爺ちゃんはハーモニカをふいている。おばあちゃんは、鼻歌で手を阿波踊りのように動かし楽しんでいる。僕はその横に座った。「ほら、あんたも踊りんちゃい。」と言われ、おばあちゃんと同じような動きをしてみせる。「アーほれほれ!」「いぇい」「OK!」など合いの手を入れまくっているおばあちゃん。面白過ぎて笑った。「凄いですね。芸人さんみたい」と言うと、おじいちゃんが、「この人はあと鼻三味線がある」とおばあちゃんの特技を教えてくれた。おばあちゃんは、皆が演奏するのに合わせ、鼻をつまんで音を出した。それが大変おかしくて、笑いが止まらなかった。笑っていると「あんたも何かしろ!」とおばあちゃんに言われたが、「音楽はできんよ」と言うと、「あんたは、笑う係。あんたは芸がないけ笑う。」と言われた。「おばちゃんが笑かすけーじゃん」と僕。なんだかスゲー突っ込んでくるなと思ったが、次の予定があったので早々に店を出た。「あいつは笑いに来た」と後ろで言っている。「脳ある鷹は爪を隠すって言うじゃん」とフォローの声も聞こえるが... なんだこれは。

I本さんと合流。12月のプロセス展のことを相談。

帰宅。

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