御供平佶『羽交』評・2024年書評特集⑧
『羽交』評
大谷宥秀
平成時代の『国民文学年刊歌集』に三十一年間収載した三百十首に各年の作品を加えた五百三十首を収めた第六歌集である。
集題の羽交とは鳥の左右の翼が重なる所を指し、志貴皇子の「葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ」が後書きの冒頭に引かれる。そして「自然界に於いて目にするものの中で鴨の背の『羽交』のように整ったものに惹かれる。竹の子の背広をきちんと着用したかの組合わせも、静止はしていてもたちまち成長を遂げる礼儀正しさが捨てがたい」と述べる。
さらに平成四年、四十七歳のときに「わが黄金分割論」として「ダビンチ言う黄金分割『5対8』は、短歌三十一文字を『12対19』つまり、『57対577』の二句切れの一首を原型とすることに気付き是を自作の基本とする」と記す。どちらからも作者の持つ明確な美意識が言挙げされる。
舟に立つ影反転ししろじろと投網の円が河口をつかむ
現在七十代後半の作者の 四十五歳の作。投網をする漁師の瞬間を捉えるが、影や投網の描写が端正で静寂に包まれた一幅の絵画のような作品である。
しめきりに遅れて送るFAXの白きひとひら命をおくる
締め切りに遅れFAXを使う場面は容易に想像できるが、下句に作者の思いがにじむ。風が吹けば飛んでしまう一枚の紙であっても、そこに詠まれた一首一首はかけがえのない重さを持つ。
一枚の青を浮かべて山かこむ赤城の小沼の天上の湖
赤城山の山頂近く、標高一四七〇メートルに位置する円形の火口湖に取材した。上の句の大らかな把握が効いていて、天上の澄み切った湖面に立つさざ波までも感じさせる。
苔の上はだらにゆらぐ木洩れ日の楓青葉を清らに透かす
葉の陰に潜まりたりし木犀の雨に再び香りを放つ
どちらも自然に鋭敏な眼差しを向けている。苔の上で木漏れ日に透ける楓も、葉の陰に隠れて見過ごしてしまいそうな木犀にもただならぬいのちの輝きを看取する。集中では衒いのない、物静けさを感じる作品が並ぶが、行き届いた措辞が事物を瑞々しいものへと昇華させている。
夜の雨のふとぶとと打つ高架より樋を下れる水音を聞く
高架から樋を流れていく水音に耳を傾けているが、多くの人が見過ごしてしまうものを掬い取る。こうした技量も長い年月の中で培われたに違いない。
二か月ぶりに外出の妻と腰かくる花壇の日なた石あたたかく
川土手に日傘をさして来る歩み妻と気づきて暫くを待つ
集中ではところどころで妻を詠む佳品が並ぶ。年を重ねた夫婦の姿が味わい深く詠まれる。日傘をさした女性が妻とわかるまでの間、そして妻に声をかけるまでの間、両方が歌に奥行きをもたらした。こうした歌を詠めることは人生における一つの収穫であろうが、それはまだ始まったばかりだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー