短歌結社 まひる野
2024年6月号特集 新進特集 「わたしの郷土・わたしの街」 作品&エッセイ
2023年のテーマ評論をまとめました。
まひる野2023年6月号特集「結社の魅力」は堂々21人21ページの大特集!! 各地の会員や相対的な若手に結社の魅力について語ってもらいました。 その中から12名の作品とエッセイを転載しています。
9月号恒例歌集評特集です。
まひる野会です。 こちらでは、誌面に掲載されたいくつかの記事を公開していきたいと思っています。実際の更新は8月号から始めます。 * まひる野は1946年3月、窪田空穂の長男窪田章一郎の元に若い歌人が集まり創刊されました。 現在は、代表・篠弘、編集人・大下一真のもと、中根誠、島田修三、今井恵子、柳宣宏、柴田典昭、広坂早苗が運営・編集に当たっています。 生活の中で生まれる感動を大切にする作風が特徴です。 どなたでも入会できます。 詳しくはホームペ
「そのノイズの先に」 二〇二四年四月に発売となった三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)が面白かった。明治以降の日本の労働体系と読書の位置づけを紐解き、現代の若者が本を読めないのはどうしてか、というところに迫っている。読書はかつてはエリートが楽しむ教養の象徴であり、階級社会における労働者からの憧れ的な印象が強かった。時代が下るにつれ本が手に取りやすいものへと変わり、仕事におけるスキルアップ、自己啓発のためのアイテムとして位置づけられ、現在ではほしい
「人生は歌にするに値するのか」 『短歌』二〇二四年七月号「実作特集 思いを託す―着想と演出」では八名の歌人が実際に歌を作る過程や工夫を解説している。たとえば岡貴子は「音数に配慮し具体例を選択、言葉を選ぶ」と基本的な構えを述べ、あるいは本渡真木子は強い響きの助詞が理屈っぽい印象を与えるといった技巧的なポイントを、田中あさひは連作における起承転結、修辞法やデザインについて述べていた。短歌にすこしばかり親しんできた私などを対象にしたアドバイスなのだろうと面白く読んだ。 だが、
定型の中の自由 「自由に」って言われた時、いつもやってる「パ」のほうが自由だなって思った。 二〇二四年三月に出版された恩田陸の小説「spring」は天才バレエダンサーかつ振付師の春という人物をめぐる物語であると同時に、創作や表現というものに一度でも触れた経験のある人なら感じえるだろう様々な感情が渦巻いていた。冒頭は「バレエ」の定型についての春の言葉だ。「パ」というのはバレエの基本のポーズ、振り付けのことらしい。レッスンで「自由に踊るように」という指示をうけたにもかかわら
ベランダから見える公園 吉岡優里 夜が片目を開けて照らした公園の砂場に刺さる赤いスコップ 公園に猫は現れ弧を描きジャングルジムの傍に落ち着く 声帯切除された小犬が鳴くようにさみしさはいま息をしている きみに似た新たなきみと恋をして視界にいつも横顔を置く 月面を歩くつよさで真夜中のしずかな車道をふたり歩いた 砂の頬に涙が道を作っても母の両手は頬に触れない 這うように手首に泡が滴ればくちびるは添うぬるい手首を この世は別に酒を飲んでも変わらないただ半袖
ヨーソロー 伊藤すみこ アボカドの種に刃元を突き立てる悩める二十九歳の春 私語をしない中村さんは倍速で海老カツサンドを包みつづける 明日から産休を取る社員さんがパートにも配ってくれたマカロン 東京の売れなくなったアイドルが地方のワイドショーに出ている 三年半会わないうちに新しくなった苗字のきみが手を振る 生産性がないねわたしは おしぼりを広げてみたり畳んでみたり 海溝はきみにも見えているだろうサラダボウルの手前あたりに いい人に巡り合うよときみは言う空いた小
「振り切りたいものは」 暗い夢のような映画を配信でみてみぬふりの罪のあけぼの /正岡豊「京都・東福寺・涅槃会」 短歌研究二〇二四年五+六月号は、今年も三〇〇歌人の新作作品集と相成った。この企画は二〇二〇年五月号の二八〇歌人新作作品集からつづく今年で五回目の企画だ。短歌作品(昨年まで載っていたエッセイも今年は省かれている)のみで構成される一冊となり読み応えがある。ほぼ五十音順に、老若男女入り乱れて歌が並ぶさまは一種のアンソロジーのようで、それが代表歌ではなく毎年新作で
時事詠雑感 今井恵子 「國民文学」四月号の〈えもの待つ痴漢と掏摸を待つわれら残して電車次つぎに発つ『車站』〉についての自歌解説を読んだ。一節を引用してみよう。 二、三分おきに満員の乗客が乗った電車が発着する小一時間は掏摸にも刑事にも痴漢にも稼ぎ時である。ドアが閉まった電車の発車の瞬間はラッシュアワーの積み残しのようにホームに人影はまばらとなり、すぐにホームは人が溢れるまで、挙動不審な人影の全身が他の者の視線にさらされる。ボウとして立たずに居ない工夫は乗客、下車
真実の情動 富田睦子 それが恋の歌であろうが庭の柿の木を詠んだ歌であろうが、そもそも短歌は作者の生きる時代を映し出す。生身を生きる作者の、それを取り巻く風土、コミュニティ、常識や思い込み、景気経済、あらゆる社会的な出来事からくる気分を反映し、それぞれの佇まいや陰影を作り出す。 そのうえで敢えて「時事詠」について考えようとするとき、それは「社会詠」というカテゴリのなかで特に、具体的な事件や災害、戦争など、個人の経験を超えた大きな「出来事」に接して詠まれた
詞書による時事の後景化 狩峰隆希 昨年末に公開された映画『枯れ葉』(アキ・カウリスマキ監督作)の冒頭シーン。主人公のアンサが、スーパーの仕事から帰って夕食の支度をはじめる。ラジオをつけると、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れている。「最新ニュースです。ロシア軍はウクライナでマリウポリの産科・小児科病院を空爆、少なくとも17人が負傷しました。ゼレンスキー大統領は〝戦争犯罪だ〟と非難。あまりにも残酷すぎる攻撃では?」「ロシアにとっては普通です。チェチ
新聞歌壇のことなど 三月、「note(ノート)」というインターネット上の媒体に、永汐(ながしお)れいという歌人が「新聞歌壇の話をします」という文章をアップした。これは新聞歌壇に投稿している永汐が、これから投稿を始めようとしている人や、現在投稿している人たちに役立つ情報をまとめ、Q&A方式で綴ったものだ。応募方法や「筆名の使用は可能か」といった基本的なことから、投稿に関する悩みへのアドバイスまでが、丁寧かつ冷静に書かれている。初心者にとってはありがたい情報だと思うし、投稿を
𠮷岡優里一九九七年福岡県出身。短歌グループtoitoitoi所属。 小学校入学から高校卒業までの間、中間市の図書館によく通っていました。六月には文化のみち二葉館でのトークイベントに出演させていただく予定です。 さくらのあそび 咲きたく咲いてるわけじゃなかったら 春の鶴舞公園はよる Diorのいちばん安い香水のにおいがしてる雨にまぎれて 二重がよくて二重顎ってなんでだめ線なのに線なのに線なのに 反社っぽい普通の人が作ってるたこ焼き反社の人のイカ焼き 先輩が一人で屋台に並んで
藤原奏名前の読みは「かな」。岡山生まれ岡山育ち。今は東京でライターの副業としてライター業を営むという謎の二重生活を送る日々。エゴサで出てくるアルビレックス新潟の藤原奏哉選手に勝手に親近感を覚えています。 廃校 人と目の合わない街で廃校の報せを二年遅れて知った 写真では古ぼけているあの頃は古いと思わなかった校舎 好きだった学級文庫のあの本の行方を思う春の始まり 犀星の詩集を閉じて廃校になった母校の校歌を歌う 結婚をLINEの名前だけで知る他人事のようにさみしい夜空 立ち止ま
滝本賢太郎 馬込桐里町は、それまで暮らしていた亡き祖母の家の家仕舞いに伴い、出た。今はやはり大田区の下丸子に住んでいる。ゲスい下町の代表格蒲田に近く、居心地は良い。難点は他の街の酸素濃度を薄く感じることだろうか。 炎、熾せば あわただしき学期始めは色彩も他人行儀に過ぎゆく季節 雨に濡れずに第五校舎へ入る道を教えてもらう錆びた扉(と)を押す 指と指からめて繋ぐ手は熱く他愛ないことしかしゃべってない 恋猫のごとく歌うからグールドもキースも好きさ夜を散る花 境内の花の下にてあま
久納美輝 くのうよしき。三〇。名古屋生まれ、名古屋在住。二〇二一年二月詩集『アイスバーン』刊行。現代詩手帖 二〇二四年四月号に詩「酸性雨」が掲載されました。ほぼ毎日パスタ食べてます。捻ってフライパンで茹でるの楽しいよね。 仏滅だから ジャージ着て過ごす週末丁寧な筆跡で書く結婚祝いに 壮年期はくるくるパーマの祖母の髪母切りたれば直毛と知る 傾きし湯船に四人の澱浮きてひとり愉しむ家族団欒 深更にもそりもそりと動き出す夜行性なる祖母とわたしは 一時半 一事が万事と言うけれ
北山あさひ北海道小樽市生まれ、小樽市育ち。 タイムマシン 次々に窓がひらいて春になるパン切りナイフを買おうと思う やらされることで成長できるってカモメの静かなる白十字 鳥たちを、ヘリコプターを、雷を見上げるときは喉笛隠せ 三つ編みのためにひらめく誰かの手 済州島(チェジュド)四・三事件の朝の 伏せている鏡のなかに夜は来て辛夷はしろき五指のばしたり 人間と同じくらいの大きさの「ぢ」薬局の赤い看板 思い出と記憶はちがうババロアとゼリーのように バスが暑いな みずいろの四