溢れたほろ苦いコーヒー
今日はちょっと後悔してる話。
じいじという人↑
コーヒー
じいじの好物はコーヒー。
熱々のコーヒーを飲む。
片手にいつも持ってる印象だったし
1日に何度も飲んでいたと思う。
誕生日のプレゼントにはお小遣いで
ブルーマウンテンとかいうちょっといい豆を
渡してみたりしていた。
そのときの私は、コーヒーの良さをあまりわかってなかったし
当然ブラックでなんか飲めないお子ちゃま。
しかも真っ黒でコップに吸い込まれそうなあの飲み物が怖いとさえ思ってた。
だけど心地よかったのは遠くの部屋から
聞こえてくるクラシック音楽に混じった
ザラザラ ガリガリと豆を挽く音。
「やってみたい。」と貸してもらうのは
どっしりとしていて、ところどころ色褪せた
年季の入ったコーヒーミル。
……重い。
数回まわして、やりたがったことを後悔。
だけどじいじが時間のかかる私の
ぎこちないギコギコした音を聞いて
嬉しそうに「コレがいい。」と言った。
それから時々、代わりに豆を挽く私。
そのひと言はきっとクラシックより
孫が奏でる音がよかったのだと勝手に解釈して喜んでいた。
時が経ち、散歩をするようになってから
その音がだんだんパチパチとした音に変わった。
ミルをまわすのではなく、フライパンで焙煎するようになったのだ。
豆が弾ける音と時々焦げた香りが届く。
「回す力がなくなってるの。」後に母から聞いた。
そんなこと気づかずに、誕生日にまたコーヒー豆のプレゼント。
じいじは絶対に私を傷つけないようにただ私のプレゼントに喜んでいたし
私も趣向を変えてフライパンで焙煎しているのかと思っていた。
「こうしてやると、お湯を注いだときによく膨らむ」
その言葉に新しい知識が増えたと喜んだ。
小学生の時に手伝いで豆を挽いていたことも忘れていた。
大人になった私は代わりにコーヒーを挽いてあげるなんて考えついてもなかった。
もしかしたら私の挽いた豆で飲みたかったかもしれない。
昔よりもきっと心地よい音を聴かせてあげられたのに。って今でも後悔してる。
じいじがいろんなことを忘れて
ひたすらにコーヒーコーヒーと
コーヒーを欲しがる様子にも
病気で医師から制限されてた
1日一杯の約束が守られないことにも
飲んでもすぐに忘れてしまうことにも
その頃にはうんざりもしてしまっていた。
思い出に浸ることなんてなくて
その時じいじと向き合うことに一生懸命で
じいじの好きだったことを一緒に楽しんであげられなかったなって。
今では大好きなコーヒーを毎日必ず飲む私。
ミルクが混ざり合うのをみながら
時々この苦い記憶も頭の中で廻る。
今度私が美味しい各別のコーヒーを淹れてあげよう。
次回は明るいお話を。
それでは、また。