リヴァ様004

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第12回(29歳:失った自信を取り戻す日々)

〜29歳(2012年2月)〜

利用者からスタッフに。それは大きな転換でした。

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高田馬場センターの入居するビル

サービスに対してお金を払う側だったので、お金をもらう側になることで、社会に自分の何かを提供できている、働けるありがたみをまずは実感しました。

分かりやすい形で実感したのは、会社のプレスリリースに広報担当として名前を明記できたこと。

研修のときは名前を出さずに広報をしてきたので、2012年2月1日のリリース「Facebook公式ページ運営開始のお知らせ」は自分にとって記念すべきものになりました。

私の、双極性障害と付き合いながらの働き方について最初に伊藤さん、青木さんと取り決めたのは

「入社半年は定時に帰る。その後も出来るだけ予定をいれない」

それは、私の軽躁のきっかけとなる「新しい環境」が、今回はリヴァ入社であり、働き始めるだけで気分が上がってしまうことは容易に想像できたから。

その対策として、定時帰宅を必ず守り、仕事を持ち帰らないことはもちろん、出来るだけプライベートの予定も入れない対策をしました。

このスモールスタートにより、気分の浮き沈みもなく仕事をはじめることができました。

本当のところを言えば、平日は夜予定をいれる余裕もないほど疲れていました。

今まで体験したことない「対人援助職」。

それは、過去働いてきた定時8時間勤務と比較して、目に見えない想像以上のエネルギーを使う、疲労度の高い仕事だとわかりました。

入社してまず、私に求められた仕事は大きく3つでした。

1.プログラムのファシリテーション(進行役)
2.利用者さんの面談対応
3.会社の広報(認知度UP)

1.プログラムのファシリテーション(進行役)
大学生時代に塾講師をやった経験と、もともと人前で話をするのは好きだったので、ファシリはすぐ慣れることができました。

むしろ、その場の空気を読みつつ、盛り上げたり、一体となる状況を作るのは面白みを感じるものでした。

余談ですが、ストレングスファインダーという自分の強みを知るテストを受けた所、「包含」というものがこの当時はトップにきました。

「包含」人々をグループの中に包含し、その一員であると感じさせたいと思う。
他の人を寄せ付けないような「閉じたグループ」の存在を嫌う。
誰かがグループの外側から覗いているような状況を見つけると、彼らを積極的に中に誘い入れようとする。

この強みこそ、私がファシリテーションを得意と感じる要因だなと思いました。

仕事に余力が出てくると、青木さんに教えを請い、情報を集めてプログラム開発にも手を出しました。

自分で作っていくと仕事への当事者意識も高まり、また次のやる気につながる好循環になりました。

2.利用者さんの面談対応
支援の仕事は、利用者さんからの相談はもちろん、どうやって社会復帰を目指すかを共に考える面談の対応が必要な仕事です。

私のよりどころは当事者経験。よって、面談の時に、何よりもまず私自身の経験を伝えていました。

話を聞くという点では私にとっては素質があったのかもしれません。

昔から人の話を聞くとき、「相手が頭にイメージしているものと同じものを自分の頭に描くように聞く。

質問をしてそのイメージをより鮮明にする」というやり方を自然として来ました。そういうスタイルの聞き方が、支援でよく言われる「傾聴」に近く、すんなりと面談対応に入れはしました。

とはいえ、どうしても病気の対処の話になると、特に双極性障害の方との面談となると、無意識に自分の体験談をあてはめていました。

このやり方を続けたときに起こったのは、私に常に意見をもとめてくる状態を作ってしまったこと。

(これではどうしても相手の方が私に答えを求めてしまう。
その人だからの症状、対処があるはずで、自分で考えてもらうことが大事。)

そう腑に落ちて思えるようになってからは、私から自分の経験談を伝えることはしなくなりました。

それにより、純粋に相手の話を聞くことができるようになっていったと思います。

3.会社の広報(認知度UP)
その当時から盛り上がりはじめていたフェイスブック。

私が正社員になった初日から、会社公式のページ運用を正式に開始しました。

(ただブームに乗るだけでは想いがこもらず、人に伝わらない。ちゃんと運用できるという自信をもってスタートしないと、会社のアカウントはすぐ見抜かれてしまう。)

と考えていたので、私としても正社員になったことを区切りに、会社の魅力を伝え続ける覚悟で運用を開始しました。


話は前後しますが、その当時、知人の広報のお手伝いを個人的にやっていました。

その1つが、うつ病に効果があるといわれる認知行動療法をベースにしたコミュニティサイト「U2plus」のメディア掲載。

代表の東藤さんとは、リヴァとU2plusで一緒にイベントもやらせてもらう仲でもありました。

サイトの正式公開時には、個人的に応援したかったので、こちらから広報提案して実際にメディア掲載いただけました。

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「いいモノ、いいサービス、いい人。
 世の中に知ってもらうべき価値あるものを多くの人に届けたい。」

私が社内外問わず、今後もやっていきたいライフワークの1つです。

〜30歳(2012年8月)〜

入社半年となり、有給休暇の取得が可能となりました。

ここで私は「攻めの有休」を使います。

この「攻めの有休」という表現は、もともと利用者さんの造語。

うつ病などの疾病を抱える人の多くは、有休は使ってはいけないものという認識があります。

いざという時や、退職時の消化でやっと使うもの。

でも、自分を大切にするという視点から、計画して自ら有休をとっていくという意味をこめて「攻めの」とつけています。

私も、自分へのご褒美をこめて、攻めの有休を使いました。

すると、働きながらも自分を大切にしている実感をもてました。

また、半年経って気付いたのは、今までの働き方と大きく違うことでした。それは、チームで仕事をするということ。

支援の仕事は、一人で情報を抱えることはやってはならないこと。必ず何があったかをチームで共有していくが基本となります。

過去の私の仕事は、一人仕事が多く、自分の性格もあって仕事の悩みをよく一人で抱えていました。それによって調子を崩していた。

でもチーム作業では、その日の悩みは、その日の夕方必ず共有されるので
悩みを引きずることが極端に減りました。

それは、精神衛生上、とてもよいサイクルとなりました。

また私は、どちらかというと人のために頑張れる傾向があります。自分の調子が悪くても、人の頼みに協力することで調子を取り戻すことが多々ありました。

私の気分の波をコントロールしていく上でも、チームで働くことは対処につながっていました。

〜30歳(2013年2月)〜

入社して1年経ち、自分の中で少しずつ働くことに余裕を感じるようになります。

(入社して1年を振り返り、会社のブログに「双極性障害と寄り添った勤務一年間のおさらい」をアップしたりしました。)

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とある日、元利用者の方から、法人向けのメンタルヘルスに関する相談を持ちかけられました。

その時いただいたメールにあった一文に、私はショックを受けます。

「つきましては、産業カウンセラーなどの有資格者の方を同席の上、相談にのっていただけないでしょうか?」

今まで、当事者経験をキッカケとして支援の現場に立ってきて、1年とはいえ、私は支援者の一人だと思っていました。

でも、世間はそうは見てくれない。仕事の土俵にもあげてもらえない。

そうであるなら、資格をとって、仕事の話をする価値のある人と思われたい。

青木さんからは産業カウンセラーの話は聞いていました。

青木さん自身、そのを資格持っており、資格講座の講師をされていたとのこと。

「産業(カウンセラー)は、傾聴訓練をひたすらやるから、支援に活きるよ。」

(これは何かの縁だ。資格にチャレンジするタイミングだ。)

そう決心します。

ただ、ひとつの懸念が。

仕事をしながら新しいことをチャレンジするのは軽躁への道を自ら歩むもの。

社員になって1年、嘘のように気分は安定していました。でも、その安定を自ら破りにいくことになる。

怖さはありました。

でも、チャレンジしたかった。

(自ら、働き続けるのに問題ない、平常の幅を広げていきたい。
今はまだ軽躁になってしまうラインも、訓練すればコントロールできる範囲に収められるにのではないか。)

そんな仮説を自ら立てて、4月からスタートする、産業カウンセラー平日夜間講座に申し込みました。

つづく

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ツイッターでは、「双極性障害と働き方」に関わるような私の考えや、普段の取り組みなど、気ままにつぶやいてます。

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松浦秀俊 / 双極はたらくラボ編集長
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