刑事責任能力(刑法39条)判断における、行為前後に取った合理的行動等の位置付け〜その2
以前、責任能力の有無・程度が争点となっている事案で、行為前後に被告人が合理的と見られるような行動を取ったことが認定できるからといって、その事実が常に責任能力が肯定される方向で使われるとは限らないという記事を書きました。以下がその記事です。
今回は、同様のテーマについて、比較的最近の裁判例を見てみたいと思います。
事案の概要は以下の通りです。
【文献番号】 LEX/DB 25596534
【文献種別】 判決/東京地方裁判所(第一審)
【裁判年月日】 令和 5年10月20日
【事件番号】 令和1年(合わ)第219号
【事件名】 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
【審級関係】 控訴審 25573911
東京高等裁判所 令和5年(う)第1481号
令和 6年10月22日 判決
【事案の概要】 被告人が、夫婦関係調整(離婚)調停中の妻(当時31歳)に対し、殺意をもって、同人の背後から、持っていた折りたたみ式ナイフでその右頸部を切り付け、同人を頸部切創に伴う失血により死亡させて殺害したとの殺人、刃体の長さ約9.2センチメートルの折りたたみ式ナイフ2本、刃体の長さ約8.8センチメートルの折りたたみ式ナイフ1本及び刃体の長さ約7.4センチメートルの折りたたみ式ナイフ1本(固定装置付き)を携帯したとの銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪で、懲役22年及びナイフ4本の没収を求刑された事案において、被告人は、その妄想・幻聴の圧倒的影響により本件行為を行ったものとして、心神喪失の状態にあったと判断して、被告人に無罪を言い渡した事例(裁判員裁判)。
【要旨】 〔TKC〕
起訴後の鑑定の分析結果は十分に信用でき、被告人が統合失調症に罹患しその妄想症状が活発化し悪化した状態であったことに疑いの余地はなく、被害者を殺さなければ被害者や息子が拷問されて殺されるという妄想が強まり、犯行当日、「やる時間だ」という幻聴も生じて、被害者の殺害に及んだことが認められ、本件はこれらの妄想・幻聴の圧倒的影響の下に行われたもので、犯行時、被告人は心神喪失の状態にあり、責任能力がなく、各公訴事実につき犯罪の証明がないことになるので、被告人は無罪である。
【裁判結果】 無罪
【上訴等】 控訴
地裁のこの判決に対して、検察側が控訴しました。
控訴審の判断の、今回のテーマに関わる箇所を以下に抜き出してみました。
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【文献番号】 LEX/DB 25573911
【文献種別】 判決/東京高等裁判所(控訴審)
【裁判年月日】 令和 6年10月22日
【事件番号】 令和5年(う)第1481号
【事件名】 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
【審級関係】 第一審 25596534
東京地方裁判所 令和1年(合わ)第219号
令和 5年10月20日 判決
【裁判結果】 棄却
「しかし、上記〔ア〕について、統合失調症の症状についてのA医師の説明を踏まえ、本件行為やそれに至るまでの被告人の対応を個別に切り出してみた場合、一見理性的・合理的に見える対応があり得ることは、既に検討したとおりであり、A医師の上記説明について、検察官において、誤りであるとの立証はされていない。他方で、検察官は、一見理性的・合理的に見える対応が認められる事案においては、そのような理性的・合理的に見える対応を軽視することなく、十二分に考慮に入れた上で、本件妄想等が真実存在するのか否かを厳正に判断するべきであると主張する。その主張にかんがみ、敷衍すると、A医師は、本件行為時においては、被告人は、被害者を殺害しなければ、被害者と息子は拷問されて殺されるという強固な妄想を基盤に、幻聴や思考障害の強い影響を受けて本件行為に及んだものであり、被害者と息子への切迫した危険があると確信し、同危険から逃れるためには被害者を殺害するしかないと確信していた旨説明しており、自分の中に本来の自分ではない意思や思考が発生するとの自我障害についての説明も併せ考慮すれば、本件妄想等の確信に従った行動が、殺害目的を完遂するために合理的、合目的的であったとしても、本件妄想等を否定する理由とはならない。したがって、検察官が指摘する上記〔ア〕の事情を考慮しても、合理的な行動があったとの事実は、妄想の圧倒的影響のもとで行った行為であることを否定する根拠にはならないとの原判決の判断に、誤りがあるとはいえない。」
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このように、妄想や幻聴の影響が圧倒的であるが故に、被告人は「妻を殺害するしかない」との思いを強固なものにし、殺害を中止するような思考はおよそとることができませんでした。そうなると、殺害を確実なものにするために合理的な行動をとることも、このような妄想や幻聴の圧倒的な影響下においては、当然のことだと考えられます。
むしろ、このような事案の場合、殺害行為前後の行動が合理的であればあるほど、妄想や幻聴の影響が圧倒的であるということを推認させることことになるともいえるでしょう。
責任能力が争点となるような事件の報道がなされると、ネット等では、「これだけ計画的なことをしてるのだから責任能力が無いわけがないだろう!」という論調が多くみられます。
確かに、一般的にはそうかもしれませんが、本事案や、冒頭に貼ったリンク先の事案のように、そのような認定では済ませられない事案もあるということを知っておいていただきたいと思います。
責任能力に関する問題はまだ他にもありますので、今後も書いていこうと思っております。
その際も、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは今回はこの辺で!