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持続する志、獄死の朝鮮詩人「尹東柱」を一書に 4つの異なる側面から朝鮮近・現代史に触れる

『尹東柱・詩人のまなざし』(耕文社)の表紙

 韓国の代表的な詩人・金芝河(キム・ヂハ)の死去が伝えられてほどなく、やはり国民的詩人といわれる尹東柱(ユン・ドンヂュ)を取り上げた新刊が届いた。タイトルは『尹東柱・詩人のまなざし』(耕文社)。 

尹東柱。1941年朝鮮の延禧(ヨンヒ)専門学校<現・延世(ヨンセ)大学>卒業時(高橋邦輔さん提供)

 著者は朝日新聞OBで大阪府枚方市在住の高橋邦輔さん(84歳)。著書に添えられた文章に「老境を迎えて、もう執筆と出版は無理と思ったが、尹東柱の清らかな詩風にいざなわれ、最後の仕事として小著を残すことになった。これで四つの異なる側面から、朝鮮近・現代史に触れることができたと思う」旨が記されていた。

著者の高橋邦輔さん

 「四つ」とは1997年に定年退職したあと、①2004年に私家版として作られた『高麗舟は霞の彼方~朝鮮通信使を旅する』、②2010年に翻訳・出版された『光州 五月の記憶~尹祥源評伝』(社会評論社)、③2018年に刊行された『全羅の野火「東学農民戦争」探訪』(社会評論社)の3冊に、今回の『尹東柱…』を加えたものだ。それぞれの内容には後に触れるとして、4冊に共通するのは「現場を歩き、人と会い、資料を調べ、少しでも事実に近づく」という姿勢である。

左)最初の著書『高麗舟は霞の彼方~朝鮮通信使を旅する』の表紙
中)2冊目の『光州 五月の記憶~尹祥源評伝』(社会評論社)の表紙
右)3冊目の『全羅の野火「東学農民戦争」探訪』(社会評論社)の表紙

 その根本にあるのは、小学校2年生までを過ごした植民地朝鮮の人と風物に対する一種の「懐かしさ」だと高橋さんは言う。慶尚北道大邱府(現・大邱広域市)の完全な「日本人町」で育ち、朝鮮語をまったく知らなかった高橋さんは、60歳近くになって韓国語を独習した。「相手が何を言っているのか、ほとんど理解できない程度」の韓国語で、苦労しながら韓国の地方を訪ね歩く。豊臣秀吉の侵略や植民地支配に対する声高な主張はなく、「知り得た事実」を記録していく。

 高橋さんの経歴を紹介しておこう。1945年、敗戦とともに香川県に引き揚げてきた。丸亀高校から早稲田大学政経学部新聞学科に進み、朝日新聞社に入社。大阪と東京の編集局整理部長、編集局次長などを歴任した人だが、私が大阪整理部に転任になった時のデスクで、厳しく鍛えられた思い出がある。整理部は新聞記事の価値判断をして見出しをつけ、実際の紙面を編集する重要な部署だ。時々刻々と移り変わるニュースに対応しなければならないハードな職場だった。

 高橋さんは、仕事の場では妥協を許さない厳しさを示す一方、会社を離れると深夜まで私たちと酒席を共にする一面も持っていた。 私が鳥取支局長に転任した時は、大阪本社の編集局次長であった高橋さんが何度か激励にやってきたことも思い出される。

鳥取砂丘で高橋邦輔さん(右端)と筆者(左端、1989年冬)
朝日新聞松江支局で高橋邦輔さん(右)と筆者(1990年春)

 前置きが長くなった。まずは『尹東柱・詩人のまなざし』から、尹東柱の「序詩」という詩(伊吹郷訳)を紹介しよう。

  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱(はじ)なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹きさらされる。

『尹東柱・詩人のまなざし』から尹東柱の「序詩」(伊吹郷訳)

 尹東柱(1917年12月30日~1945年2月16日)は、中華民国時代の満州・間島(カンド)の出身だ。1942年4月に立教大学文学部英文科選科に入学後、10月に同志社大学文学部英文学科選科に転校している。日本統治時代に朝鮮語(ハングル)で多数の詩を創作するが、同志社在学中の1943年に「朝鮮独立運動による治安維持法違反容疑」で逮捕され、懲役2年の判決を受けて福岡刑務所に移送された。特高警察に逮捕される約2カ月前の1943年初夏、同志社大学の級友らと日帰りの旅をしていて、宇治川上流の天ヶ瀬吊り橋で記念撮影をした尹東柱の写真が残っている。

同志社の級友らとの写真と、尹東柱の署名(同志社発行の冊子『尹東柱詩碑』より)
宇治川上流の天ヶ瀬吊り橋で同志社大学の級友と尹東柱
(前列左から2人目、撮影者不明、同志社発行の冊子『尹東柱詩碑』より)
宇治川にかかる天ヶ瀬吊り橋

 祖国解放を半年後に控え、27歳の若さで獄死した。その死を惜しみ、同志社大学今出川キャンパスや京都市左京区の下宿跡など各所に「尹東柱詩碑」が建つ。

同志社大学今出川キャンパスの「尹東柱詩碑」(2015年7月、黒沢雅善さん撮影)
「詩碑」の前で営まれた尹東柱生誕100年記念の献花式(2017年2月11日、黒沢雅善さん撮影)
京都市左京区の下宿跡に建つ詩碑(高橋邦輔さん提供)

 祖国解放後に「民族的抵抗詩人」として知られるようになり、2016年にはその生涯が「동주(トンヂュ)」と題する映画作品(邦題「空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜」にもなっている。「空と風と星と詩」というのは、尹東柱がソウルの専門学校卒業記念につくろうとして果たせなかった自選詩集にみずから付けたタイトル。1948年に同じタイトルの詩集がソウルで公刊された。

■日本統治下の青春と死、 早世の詩人に感動

 高橋さんが尹東柱のことを知ったのは、1995年に偶然観たNHKスペシャル「空と風と星と詩―尹東柱・日本統治下の青春と死」で、詩人とその清冽な詩に強い印象を受けたと言う。20年後の2015年には、朝日新聞に掲載された「早世の詩人・尹東柱と同志社」という記事を読んだ。心動かされながらも、他の著作を抱えており、尹東柱の取材・執筆にとりかかる決断がつかなかったそうだ。

 2018年に至り、京都府宇治市の天ヶ瀬ダム近くに建つ尹東柱の記念碑訪問をきっかけに、ようやく執筆に着手、尹東柱との出会いから27年余を経て出版に漕ぎ着けたのだった。

 新刊の内容は序章に続き、①「序詩」和訳をめぐって、②「空と風と星と詩」の誕生、宋夢奎(ソン・モンギュ)のいた京都、④映画「동주(トンヂュ)」の虚構、⑤宋友恵(ソン・ウヘ)さんに訊く~の5章で構成されている。 宋夢奎は尹東柱と同じ年に同じ家で生まれた従兄で、ともに朝鮮独立の志を持っていた。二人は福岡刑務所に収監され、相次いで獄死した。宋友恵さんは『尹東柱評伝』(邦訳あり)の著者である。

 第1章では、尹東柱の詩の本質にかかわる問題として、「序詩」伊吹郷氏訳の「生きとし生けるもの」という表現をめぐる論争、金時鐘(キム・シジョン)氏訳による最終行「今夜も星が 風にかすれて泣いている」の妥当性を詳細に検討している。第2章では詩集『空と風と星と詩』が解放後に公刊されるまでの経緯が詳しく辿られている。

 さらに『尹東柱評伝』の著者・宋友恵さんとのメールによるロング・インタビューも収録され、巻末には、この本で取り上げた尹東柱の詩が「尹東柱詩抄」としてまとめられている。特高資料の「在京都朝鮮人學生民族主義グループ事件策動概要」や、尹東柱と宋夢奎に対する京都地裁の判決全文も付記されている。

■朝鮮通信使、東学農民戦争、光州事件…

 高橋さんのこれまでの著作についても触れておく。

 最初の著書は『高麗舟は霞の彼方~朝鮮通信使を旅する』。豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争「文禄・慶長の役」の後、徳川時代になって関係修復のための外交使節「朝鮮通信使」が12回、日本を訪れた。ソウルから江戸へ、高橋さんは2年がかりで通信使の主な宿泊地を訪ねてエピソードを拾い集め、和綴じの私家版を手作りした。

最初の著書『高麗舟は霞の彼方~朝鮮通信使を旅する』の表紙

 日朝の交流は鎖国の中の「善隣友好」と称えられ、異国情緒あふれる数百人の行進は、沿道の見物客を熱狂させた。しかし、儒教に凝り固まった朝鮮使節と同行した世話役の対馬藩の間、あるいは接待に当った各藩との間では「もめ事」も多かった。日本側の儒教文化への憧憬の裏に、朝鮮に対する属国視や侮蔑感があった。朝鮮側にも過度の文化的優越感があった。高橋さんは、現在につながる複雑な国民感情を指摘している。高橋さんの韓国を訪ね歩く旅に、一度だけ朝日新聞時代の仲間が同行していて、当時の写真を保存していたので掲載する。

朝鮮通信史の取材で韓国を尋ね歩く旅の高橋邦輔さん(2003年、北村英雄さん撮影)
韓国の史跡などをめぐる高橋邦輔さん(2003年、北村英雄さん撮影)
現地で朝鮮の伝統的民俗芸能パンソリを国立技芸員から聞く高橋邦輔さん
(2003年、北村英雄さん提供)

 2冊目の『光州 五月の記憶』(社会評論社) は、1980年5月、韓国の軍部独裁政権に抗して全羅道光州の市民と学生が決起、戒厳軍と戦って多数の犠牲者が出た光州事件を取り上げた。高橋さんは、市民軍のスポークスマンとして活躍し銃弾に倒れた伊祥源(ユン・サンウォン)の生き方とその死を詳しく綴った『尹祥源評伝』を翻訳した。翻訳にあたって何度も現地に足を運び、伊祥源の同志であった原作の著者・林洛平(イム・ナッピョン)氏をはじめ、多くの関係者から聞き取りをするなど、取材を重ねた。

2冊目の『光州 五月の記憶~尹祥源評伝』(社会評論社)の表紙

 戒厳軍の突入を前にして、全羅道庁内に立て籠もった市民らの間で「武器を捨てるのか、武器を捨てずに対等な交渉に持ち込むのか」で意見が割れた。伊祥源たちは武器を捨てずに闘うことを選び、戒厳軍の圧倒的な武力によって倒されていった。

 光州事件は、当時は「戒厳令下に不純分子が起こした暴動」とされていた。しかし1988年、軍人出身の盧泰愚(ノ・テウ)大統領が「光州で起きたことは民主化のための努力であった」と認めるに至り、光州民主化運動と呼ばれるようになった。高橋さんは韓国の民主化に大きな役割を果たした光州事件が、30年を経て韓国でも風化しつつあるのを知り、「この事件は日本人も記憶にとどめるべきだと思い、翻訳を引受けた。400ページものハングルの原本を前に、自信はなかったが…」と語っている。

光州事件で裸にされ連行される市民ら

 2010年5月27日、尹祥源の命日に、かつての高橋さんの仲間が集まった出版記念会が大阪で開かれた。高橋さんに邦訳を勧め、翻訳を助けた在日の金松伊(キム・ソンイ)さんも駆けつけ、「高橋さんの情熱と意気込みに感動を覚えた」と話した。 

『光州 五月の記憶~尹祥源評伝』の出版記念会(2010年5月27日、北村英雄さん提供)
高橋邦輔さんと翻訳を助けた在日の金松伊さん(2010年5月27日、北村英雄さん撮影)

 高橋さんは「この本は、尹祥源という若者の生涯を描くことによって、日本では余り知られていない光州事件の『内側から見た歴史的事実』と、韓国現代史のさまざまな出来事を伝えていますが、同時に、軍部独裁の過酷な時代を真摯に生き、死んでいった韓国の<青春群像>の記録にもなっています」と話していた。

出版記念会で挨拶する高橋邦輔さん(2010年5月27日、北村英雄さん撮影)

 3冊目が『全羅の野火 「東学農民戦争」探訪』(社会評論社)。朝鮮王朝末期の1894年、地方郡守の苛政に耐えかねた全羅道の農民が、民衆宗教「東学」の指導者に率いられて蜂起した。蜂起は全国に広がり、鎮圧に清国軍と日本軍が出動し、「日清戦争」が始まるきっかけになった。日本は清国と戦う一方で、「抗日」を掲げた東学農民軍と戦うことになった。「悉く殺戮せよ」との訓令を出すとともに、農民軍討伐の専任部隊まで派遣した。農民軍は、日本軍と朝鮮王朝軍の連合部隊によって南端の珍島まで追い詰められ、蜂起から約1年後、戦いは終わった。

3目の『全羅の野火「東学農民戦争」探訪』(社会評論社)

 高橋さんは数年間、何度も訪韓して「農民反乱」の戦跡を訪ね、克明な記録を残した。韓国各地には数多くの「東学農民戦争記念碑」があるが、最も有名なのは井邑(チョンウプ)市の「無名農民軍慰霊塔」(本の表紙参照)だ。高橋さんは取材の過程で、慰霊塔の設計・制作者が、ソウルの日本大使館前などに建てられた「慰安婦少女像」の作者であることを突き止め、インタビューしている。「東学農民軍慰霊塔」と「日本軍従軍慰安婦少女像」。考えさせられる取り合わせではないか。 

■「記憶と和解の碑」に刻まれた詩「新しい道」

 高橋さんは『尹東柱・詩人のまなざし』のあとがきで、「本書を書き進めたのはパンデミックスのさなかであった。新型コロナへの対応に限らず、さまざまな面で日本社会の劣化が露呈した。権力者が『嘘をつくこと』や、『不誠実であること』が、許容される社会になった。加えてロシアのウクライナ侵攻。ときに、絶望的な気分に落ち込みながらの作業だった」と締めくくっている。

 暗雲漂う世界だが、最後に、天ケ瀬ダム近くの京都府宇治市の白虹橋のたもとに建つ「記憶と和解の碑」に刻まれた尹東柱のさわやかな詩「新しい道」(伊吹郷訳)を紹介しておきたい。尹東柱がソウルの専門学校に入り、新しい環境で詩作と文学研究に取り組む喜びをうたった詩だ。

京都府宇治市の白虹橋のたもとに建つ「記憶と和解の碑」(高橋邦輔さん提供)

川を渡って森へ
峠を越えて村に

昨日もゆき 今日もゆく
わたしの道 新しい道

たんぽぽが咲き かささぎが翔び
娘が通り 風がそよぎ

私の道は 常に新しい道
今日も……明日も……

川を渡って森へ
峠を越えて村に

尹東柱「新しい道」(伊吹郷訳)

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 かつて新聞記者だったことは幸せだった。新聞記者になりたいと思ったのは、生きている人々に寄り添い、変わり行く社会を見つめ、文章にして伝えることの意義を感じたからだ。念願かなって朝日新聞の記者になれたことは、身震いするほどの感激だった。いくつかの部署を経て現役最後の10年余が企画部だった。展覧会企画などを担当する部署だったため「書きたい」ことへの思いは燃焼できなかった。

 定年後のいま私を駆り立てるのは、「朝日新聞記者だった」誇りと、少しでも「書きたい」意思だ。しかし定年後もジャーナリストであり続けることは簡単ではない。無償で地味な作業の連続なのだ。ジャーナリスト精神が萎えがちな日々、大いに刺激を与えられたのが、私の上司で80歳を超えた高橋さんがなおも取材テーマを持ち続けていることだ。獄死した早世の朝鮮詩人や光州事件の史実に向き合った著書を出版され、歴史に埋もれかけたテーマを追い続けるジャーナリスト魂に感服した。新聞社で多くのことを経験した小生も、この「note」を通じ、これからも、発信続けたいと思う。

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