昼寝が秘訣!?ラマダン中の1日の過ごし方
4月20日に、1ヶ月続いたラマダンが終わった。
「ラマダンってどういうものだろう…」と、ドキドキしていた去年。
今年は、去年ほどの新鮮さはなく、初めから断食をする気がなかった私は、「人前で飲食できないの辛いな」くらいの意識低めの気持ちで迎えていた。
ところが、ラマダン初日の3月23日、同僚の先生にイフタール(断食明けの夜の食事)に誘ってもらえたので、急遽お邪魔&お泊まりさせてもらうことに。
14時ごろに先生の家に着くと、先生のお母さんと妹が、玄関前の開けた空間で、ダワーリーを巻いているところだったので、手伝わさせてもらった。
朝から何も食べてなかった私を気遣い、15時ごろ、同僚が「サンドイッチ食べる?」と聞いてくれた。
私は、今日に限っては夜まで何も食べないつもりにしていたので、その質問に驚いたが、
「あなたは断食する必要ないわよ」
と優しく言ってくれた。
去年、断食していないと人に言うと、「断食しなきゃダメよ!」と言われた記憶が強い中で、この同僚の対応は心温まるものだった。
「じゃあ、小さいサンドイッチもらおうかな」
と言って、用意してくれたものがこちら。
全部は食べられなかったけど、ありがたくいただいた。
同僚の家族の子どもたちも断食にチャレンジしていたので、人に見られないように、ゲストルームで一人食事をした。
部屋の外からは、同僚のお母さんがコーランを読んでいるのが聞こえた。
そのお母さんとは、宗教についての話をした。
日本の宗教は?
仏教って?
神道って何?
どういう宗教なの?
宗教がこれほど身近ではない日本人の宗教観を説明するのは本当に難しい。
その後は、家族のほとんどがお昼寝タイム。
私もお昼寝させてもらった(笑)
ちょうど16〜18時半の夕方の時間は、空腹と喉の乾きがピークになっている頃。
晩御飯の支度も終わっているので、寝て、時間が過ぎるのを待つ人が多い。
そして、18時半ごろから、バタバタと食事の準備を始める。
どの家庭にも、ラマダン中のお祈りの時間が詳しく書かれたカレンダーを持っているので、それを見て、イフタールの正確な時間を把握する。
この日はラマダン初日の、3月23日。
マグリブ(日の入りのお祈り)の時間が6:54pmと書かれているので、その時間を過ぎれば、飲食しても良いということ。
6:54になり、隣にあるモスクからお祈りのアザーンが聞こえる。
「アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」が聞こえたのを合図に、食事を開始する。
私は数時間前に軽食をもらっていたので、そこまでお腹が空いていなかったが、久々に食べたダワーリーは、とても美味しかった。
食事が終わると、ラマダン期間中にだけ食べられるアラブ菓子「カターイフ」を作ることに。
同僚の姪っ子たち(小中学生)に教えてもらいながら、どら焼きのようなカターイフの生地に、胡桃、ココナッツ、クリーム(ギシュタ)を詰めていく。
その後、油で揚げてくれたものをいくつかいただいた。
ダワーリーをたくさん食べた後だったので、たくさんは食べられない。
同僚の姉妹家族がすぐ近くに住んでいるので、夜は2件ほど姉妹の家にお邪魔し、ジュースやコーヒー、シーシャをいただきながら、いろんな話をした。
(親族が近所に一帯となって住んでいるのは、アラブあるある)
23時半ごろ、私は同僚のベットで寝させてもらうことにしたが、同僚はコーランを読みたいからまだ起きていると言っていた。
結局、同僚は夜中の1時ごろに寝たらしい。
翌日、朝4時30分ごろに家族全員が起き、スフール(夜明け前の食事)の準備を開始。
この日、たまたま停電しており、なんと暗闇の中での朝ご飯。
先程のカレンダーからも分かる通り、この日のファジュル(夜明け前のお祈り)の時間が5:14amなので、それまでに食べ終わらないといけなかった。
小学校低学年くらいの男の子は、眠そうにしながらゆっくりと食べていたのを
「あと5分しかない!早く食べなさい!」
と急かされていた。
5:14が過ぎ、そこから夜の7時ごろまでの約14時間、何も食べなければ、水さえも飲まない断食を行う。
こんな朝早くにそんなにたくさん食べられる訳でもないので、この少量のスフールで、14時間分ものエネルギーを蓄えるって、かなり過酷だなぁと思った。
それからまたベットに戻り、二度寝開始。
翌日は金曜日(休日)だったので、みんなが起きてきたのは11時ごろ。
平日に比べると、休日の断食は楽そうだと思った(笑)
*
ラマダンは、イスラム教徒にとって信仰心を高める「聖なる月」
落ち着いてコーランを読んだり、イスラム教についての理解を深めたり、貧しい人に寄付をする。
異教徒にとっては「ラマダン=断食」となってしまいがちな断食も、一人で断食するならものすごく大変だけど、家族や仲間のようなコミュニティーの中で励まし合って行うならば、乗り越えていけそうな気がする。
ラマダンを通じて、イスラム教徒のコミュニティーの連帯感をも高める。
そんなことを感じた今年のラマダンだった。
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