変えたいと思う3つの事〜難民キャンプの幼稚園にて〜
活動10日目が終わった。今日は、難民キャンプ内にある配属先の幼稚園で、長期的に時間をかけながら少しずつ変えていきたいところについてまとめてみようと思う。
1. 子供に対する叱り方
10日間過ごして日々感じるのが、先生の叱り方がキツイということ。もちろん子供たちが喧嘩をしたり、騒いだりして叱らざるを得ない場面もあるけど、大抵は先生が個別対応をしている時に、他の子供たちが暇になり、待っている時間が長すぎることが原因で騒ぎ出すことが多い。ここの幼稚園ではノートに文字を書いたり色ぬりをする宿題が毎日課されているけど、その添削にかなりの時間が取られている。それで徐々に飽きてうるさくなってしまう子供たちに、何度も「座りなさい」「椅子に戻りなさい」と甲高い声で叱るのは理不尽な感じがする。
また、何度も何度も注意が重なってくると、子供たちも普通の叱り方じゃ言うことを聞かなくなってきて、さらに先生の叱り方がヒートアップする…という悪循環に陥っている。ノートや物差しを机に叩いて大きな音を出しながら注意をする時も多く、私でさえも聞いていてかなりびくつく。個別対応にかける時間を減らしたり、自然と子供たちが注目するような仕掛けをしたり、適度にアクティビティを取り入れたりして工夫できるところがたくさんあるのでは…と感じている。
2. 情操教育の導入
現時点では時間割など存在せず、先生ごとに自由にその日の活動を決めている様子。大まかに何のアルファベット・数字についての授業をするのかだけは統一されているけど、勉強以外の時間の使い方は、先生によって様々。ダンスを教えたり読み聞かせをする先生もいるけど、大抵は色塗りか子供を自由に遊ばせるだけで終わっている。1日のほとんどが勉強(といっても宿題の添削の個別対応にかなりの時間が費やされていて、何の時間か分からない時間もかなり多い。)のため、体育(運動)・音楽・図工など、情操教育をもっと取り入れていきたい。
色々なアクティビティを取り入れることは、子供たちが無秩序に騒いでしまうことの抑止力にもなると思う。
3. 先生の意識改革
意識改革なんて大言壮語も甚だしいけど、先生たちの子供に対する姿勢を見ていて時々疑問に感じることがある。
あるクラスの先生は、数字の6を教えるために教室のホワイトボードにカラフルのボールを貼ったり、6に関連したイラストを書いたりして工夫している様子が伺えた。だけど、この黒板を作る作業に20分以上かけていて、その間子供たちは何の作業も与えられず、ずっと椅子に座ったまま待っていた。「そりゃ子供たちが騒いでもしょうがない」と思ってしまうほどの待ち時間。先生は何度も「座りなさい」って注意していて、やっと完成したと思ったら、今度はスマホを取り出して、綺麗に完成したホワイトボードの写真撮影…。
その後授業が始まって、1人ずつ6をホワイトボードに書かせていた。そのホワイトボードを写真に撮ろうとすると、子供たちが間違えて書いた形の6を全て手で消した先生。「消さなくてもいいのに…」と言うと、「この方が素敵でしょ」と。
(アラビア語の6は、一見すると7です。ややこしい…。)黒くなっているところは、先生が消した「間違った形の6」の部分。
先生たちの様子を見ていると、体裁ばかりを気にした態度が垣間見えることに違和感を覚える。すごい悪い言い方をすると、自己満足が多く、子供にとってどうかということがあまり考えられていないと感じた。(それか、ただ写真に撮って記録を残すことにこだわりが強いのか…)
私は昨日から英語の授業を持たせてもらっているけど、教材はもちろん家で準備し、子供たちが待つことなく授業がすぐに始められるようにしている。私がそうする事で、それを見ている先生たちに何かを感じてもらえたらいいと思う。まずは自分が態度で見せないと何も変わらないかなと思ったので…。
ここまで色々と「変えたいこと」をつらつらと書いてきたけど、あくまで日本人として日本で生まれ育った私が感じた事柄であって、私の考えが絶対に正しいと思わない。寧ろ、日々先生たちを活動を共にしていく中で、このような教育方法で今まで成り立ってきている訳だから、変える必要さえないんじゃないかと考えさえもする。
例えば、子供たちが待つ時間が長いのも、ヨルダンでの時間の流れ方そのものかもしれない。子供たちが待つと言う無駄な時間を省こうとする私の考えは、日本人的な考え方だとも感じる。ヨルダンでは、バスが出発するだけでも1時間くらい待たないといけないこともあるので、忍耐強く待つ力もこの国には必要。
結局は何が正解なんて答えはないと思う。だから、自分の価値観を一方的に押し付けるんじゃなくて、「どうやったら状況が良くなるか」共に試行錯誤をしながら歩んでいけるような日々になればいいと考えている。その為には語学もっと頑張らなきゃな。