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テレビの仕事

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本業(副業はしてないけど)のテレビ制作に関する記事です。
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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

<つづきです>

2011年10月、2度のリニューアルを経て『ソガのプワジ』はスタートしました。番組タイトルの発案者はGAG宮戸くんのお母さんです。

『やかせて!ソーセージ』の時期に行ったライブで「お母さん大喜利」という母親の答えを息子が出す企画があり、それ面白かったので乗っかることにしたのです。一方で度重なるリニューアルに疲れてきていて、肩の力を抜きたいという思いもありました。

『ソガのプワ

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

<つづきです>

2012年4月に始まった『真夜中パンチィ』はわずか1か月半でリニューアルすることになりました。

新しいタイトルは『やかせて!ソーセージ』。日々のニュースにおせっかいを焼いていこう…というコンセプトでしたが、これがさらに過酷な日々を生むことになります。

毎日昼12時になんばの吉本本社にスタッフと出演者が集まってネタ決め。そこからソーセージとプリマ旦那が毎日ロケに行き、撮って出し

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

<つづきです>

2011年4月から始まった『真夜中パンチィ』のコンセプトは「青少年のため生バラエティ」でした。

このコンセプトになったのは理由があります。

僕が演出を担当し、2011年2月に放送した特番『15だった夜』が好評だったからです。「今だから言える15歳の時のアホな話」をテーマにしたバラエティで、そのコンセプトを若い出演者たちの番組に引き継ぎました。

『真夜中パンチィ』は45分の生

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

<これは2011年春に始まった若手芸人5組による関西ローカルの深夜番組が、たった1年半で終了を迎えるまでの話です>

番組が始まる半年前、2010年の夏のこと。当時の上司から「深夜の5時間生放送をやれ!山内以下の若手制作マンは全員参加!」という指令が出ました。僕は30歳になろうとしていました。

拙いながらも僕は全力を尽くし、さらに後輩たちの懸命の頑張りもあり、その番組の評判は悪くありませんでした

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