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俯瞰する男を俯瞰する男(令和元年の人生ゲーム/麻布競馬場)
5月に感想を書いた「タワマン文学」のアザケイの新作。
つい先日、直木賞にノミネートされ、「アザケイが直木賞候補!?」と心底驚いたが、実際読んでみるとタワマン文学より随分と深みのある物語で、直木賞審審査員には賛否両論だったらしいが私は好きだった。
物語は平成28年・31年(大学生時代)、令和4年・5年(会社員時代)の4話に分かれ、語り手は変わるが全ての話の中心に沼田という男がいる。
沼田は明らかにこの作品の主人公だが、全エピソードに別の”ザ・主人公”が用意されている。ザ・主人公はたいてい「育ちがよく、ぱっと見イケてて人望もあるけど、実はあまり頭がよくなく仕事ができない男」で、沼田は彼らを取り巻く現状を俯瞰し、どこか見下しながらも愛する歪んだ男だ。
ザ・主人公を俯瞰する沼田、そして沼田を俯瞰する語り手、という構図で物語は進んでいく。
(タワマン文学の最後を思うに、”俯瞰する男を俯瞰する語り手”は著者のアザケイ自身だろうか)
印象的だったのは、『令和4年』の結婚を巡るエピソードと、『令和5年』の高円寺の小杉湯を揶揄したであろうネオ銭湯エピソード。
沼田は『平成28年』で、ビジコンサークルの代表・吉原(イケメン金持ち息子で人望はあるが、頭はキレない)を俯瞰して見下しながらも、歪な愛情を抱く。沼田は吉原を救いたかったが、当時はそれができなかった。
そして『令和5年』、出会った”杉乃湯”の4代目・寛人に吉原を重ね合わせ、上っ面だけよく他人の意見を取り入れることしかできない寛人を、身を削って助ける。
「この人(寛人)は不真面目な人だ。何も考えていなくて、他人の意見に流されて、それで起きたことは他人のせいにして、そうやって自分の心を守っているじゃないかって。(略)違うんです。この人は真っ直ぐに愛されて、幸いにもこれまで潰されることを免れてきた、優しい人なんです。何が正解とか、誰を優先して誰を切り捨てるとか、そういうことを決めることが、どうしてもできない人なんです。だから、彼が言うことはいつだって優しくて、でも実現したいのは困難なことばかり。それをどうにか実現させるのが僕の仕事であり、生きがいなんです」
私は1冊を通して、沼田の動機がどうしても理解できなかった。
大学時代の就活では、最終面接で「最低限の仕事だけして定時に退社して皇居ランでもしたい」と言ってのけ、面白がられて採用され、いざ働き始めると要領が良いので新人賞を獲ってみせる。恋愛には興味がなく、淡々と器用に生きている得体の知れない男だ。
サイコパス感すら覚えるだけに、吉原や寛人の何がそこまで彼を動かすのかが、よく分からなかった。
『令和4年』は、結婚に失敗した語り手の男(慶應卒/アザケイのお家芸である学歴格差は本作でも頻出)が、大学の同期の親友・長谷川が格下の女性・真綾と結婚することについて複雑な感情を抱く物語だ。
つまり真綾ちゃんは、長谷川に対する愛情みたいなものもあるんだろうが、人生ゲームの好ましいマス目を着実に踏んでゆくための「自然な選択肢」として結婚を要求したというだけなのだろう。(略)
結婚を純粋な愛に至るための手段ではなく、相手を少しでも束縛したいとか、自分の人生を平均的な形に積み上げたいとか、そういう正しくない動機を実現するための手段として使おうとしているくせに、世間の皆さんには「私たちは心の底から愛し合っていて、その表現の一部として結婚しただけです!」みたいな顔をしている。それはー僕が冴子(前妻)にしてやったことと、まるで同じじゃないか。
長谷川と真綾の結婚式で、前妻の冴子と再会した”僕”。
長谷川は初め、真綾と結婚する気などさらさらなかったが、真綾の必死さによって”変えられた”。
かつての”僕”の立場は真綾側で、結婚する気のなかった冴子を必死で囲って結婚したが、結局うまくいかなかった。
「僕もみっともないくらい必死なつもりだったけど、どうして真綾ちゃんはうまくいって、僕はうまくいかなかったんだろう?」と呟いた彼に、冴子は言う。
「仕方ないよ。私たち二人とも、変われない人間同士だったんだから」
このエピソードだけ沼田の存在が薄かったが、私の年齢のせいかやけに印象に残った。
それにしても、沼田の動機を描かなかった理由は何であろうか。
”俯瞰する男を俯瞰する男”の考察を進めるために、沼田のミステリアス性は必然だと思うが、もしや続編で明らかになるのだろうか?
アザケイにはまた、長い物語を書いてほしい。