![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162936861/rectangle_large_type_2_818c5a502af05cce7a4a906fb2237d9e.jpeg?width=1200)
日本には絶望だと叫ぶ三島のプログレッシブ・ロック小説
暁の寺(豊穣の海・第三章) 三島由紀夫 1970
大作家渾身の遺作4部作を畏れ多くもナナメに読むシリーズ第3弾です。
プログレッシブ・ロック小説と称したのは深い意味はないです。
「重厚かつ難解」をそれらしく言いたかっただけです。
いや、少しだけ意味を持たせました。
さてこの『豊饒の海』4部作は主人公が輪廻転生を繰り返す話となっていて、この3作目の『暁の寺』では、輪廻転生についての考察をことさら哲学的宗教的に深く深く掘り下げています。
それはもう悪魔的に難解で、ほとんどの読者を置いてけぼりにしているでしょう。
ボクも置いてけぼりになったので、この記事ではそのあたりのことは書きません。
書けないと言った方が素直かな。
ただこの小説について、あえて輪廻転生ではない角度から書くのはとても難しいのです。そこかしこに輪廻が転がっているからです。
しかし見つけました。
とある角度を。
かなり”こじつけ”なのですが。
それは“名前“です。
”名前”がその人物を象徴・暗示していることに気づきました。
1作目『春の雪』の主人公「清顕」はとてもピュアな人でした。清く顕らかな人間でした。ただし自分勝手なピュアさでしたが。ピュアだからこその自分勝手かな。
2作目『奔馬』の主人公「勲」は忠義の人でした。勲は「国や主君のために尽くした手柄」です。叙勲とか勲章とかです。勲はとにかく主君のためだったらいつでも腹を切りたがっている人でした。
この2人の名前は、明らかにそれぞれの人間性や目指す生き方を表しているようでした。
なので他の名前にも何か意味するものがあると考えたのです。
それでは他の登場人物の名前から、その人間性をひも解いていき、この小説を俯瞰してみることにしましょう。って上段から畏れ多くもよく言えたものだよ。
ただ勝手な想像を膨らませたということです。
「梨枝」
主人公の本多の妻で、何の取り柄もない存在でした。
梨枝の梨は、”なし”です。
つまり”nothing"ではないでしょうか。
あえて何も特徴が無いことに意味がある位置付けだったような気がします。
「蓼科」
この不気味な老婆、今回は少しの登場でしたが印象的でした。
「蓼食う虫も好き好き」の蓼か。
赤蓼みたいな存在?
うーん。っぽいけどなあ。
若い頃、茅野から何度か行ったなあ蓼科、と思い出しながら蓼科の観光案内を調べていて見つけました。
太宰治が蓼科を気に入っていたとのこと。
そう言えば、三島は太宰が嫌いだったのです。
太宰が好きなものへの当てつけだったりして。
「槙子」
『奔馬』では勲の憧れの人、この作品でも本多の友人の歌人として登場しました。
“槙“は、植物名なので意味は無いでしょう。
では“マキ“とは何か。
もしかして「マキイズム」で知られる防衛大学校初代校長「槇智雄」という人へのオマージュかも。『奔馬』では兵士を育成するような場所でせっせと世話を焼いていました。
あるいは、薪、つまり燃料?
勲を燃えさせる存在としての燃料だった?
”こじつけ”がひどくなってきました。真面目にやろう。
「ジン・ジャン(月光姫)」
勲から転生したタイのお姫様です。
西洋では月は狂気の意味もあるようです。ラテン語系で月はLunaですが、英語のlunaticは気が狂っているという意味になります。
また月はその満ち欠けから再生のシンボルとされています。
その満ち欠けがあるからこそ、(例のホクロの)見える時と見えない時があるとも読めます。
しかしジン・ジャンはその狂気、ダークサイドを少しは見せてくれましたが、基本は人間性の読めない人物でした。
あえて肉体だけの存在ということを際立たせたかったと深読みしたくなります。
肉体以外は、狂気と再生と見えそうで見えない記号的存在であったと理解しました。わかったようでわからない解釈ですね。
「菱川」
これは蛇、コブラじゃないでしょうか。
菱にそんな意味はありませんが、菱形から細長い川が出ている形状を想像すると、コブラが出てきますね。
性格も爬虫類的に描かれています。
そして何と言っても、菱川がわざと誤訳して、ジン・ジャンにショックを与え悲しませるシーン。
彼女は狂乱状態になりました。
これは最後の伏線になっていたのですね。
あの時の菱川は毒蛇だったのです。菱川という毒蛇がジン・ジャンを咬んだのです。
その時彼女はある意味死んで、前世の記憶はそこで途絶えたのだと想像しました。
ちなみに蛇が自らの尾を咬んで円環をなすと、ウロボロスと呼ばれ、死と再生を表すシンボルになるのですね。油断するとここにも輪廻転生が。
「繁邦」
今回の主人公の本多繁邦くんです。
邦は、クニ、つまり日本です。
繁邦は日本の繁栄ということになります。
その繁邦くんは、大金持ちになり、背徳な趣味に没頭するようになり、醜く老いていきます。跡継ぎもなく、明るい将来を感じさせません。
わかりやすく日本を象徴しています。三島が感じる日本の姿なのでしょう。
「暁雄」
この人物は作中すでに戦死して登場しません。その母が悼んでいるだけで、他の人物とは関わりがありません。
しかしここで「暁」の字を用いていることに違和感がありました。
あえてタイトルの文字を使っているからです。普通にアキは「昭」や「明」でもいいはず。
三島が見逃すなと言っているようです。
読み返して分かりました。
暁雄は富士山が好きだったというくだりがあったのです。取って付けたように。
そして最後の火事の後で、富士はあえて残像として描かれました。ここぞと気持ちを込め、“截然“とか“的皪“とか難解な言葉を使いながら(前作の“赫奕“のように)。
富士はもちろん日本のことでしょう。
おそらく暁雄も日本を象徴していて、そして日本はすでに死んでいるのだ、残像でしかないのだということなのです。
ファンタジー小説だったら暁雄の転生者がいずれ登場してくるはずですが、そこまではやらないかな。
その他「久松慶子」「椿原夫人」「今西康」そして「綾倉聡子」の名前も何らかの意味あるいは実在のモデルかオマージュがあるはずですが、よくわかりません。
次作完結編で分かるものもあるかも。
最後に「色」について処理しておきましょう。
前2作品には、全編を通して頻出し際立たせた色がありました。
1作目『春の雪』は白、2作目の『奔馬』は赤でした。
この作品は黒です。詳しい説明は不要でしょうね。闇や夜が多く描かれていました。
本(文庫新装版)の表紙も黒でしたし。
次作完結編『天人五衰』の表紙は再び白です。
まだ読んでませんが、白に“還る“ということかな。
ありゃあ。今気づいたのだけど、『春の雪』の表紙は、白というより薄黄色、ベージュに近いよ。
『天人五衰』は明らかに白です。
つまり『天人五衰』の話は『春の雪』よりさらに白くなるということか。
文庫本背表紙の紹介文を読むと、どうやら次の転生者の名前は「透」ということです。「清顕」よりさらに透き通った人物なのかな。
あるいは覗いても透明で見えないってことか。
次は難解でないことを願おう。
輪廻転生を避けようとすると、日本への絶望が見えてきましたってことでした。
特に新しい視点でもないか。
国を憂う季節ですからね。明日は三島の記事が多いに違いない。それではまた。
ここまで読まれた方には、ボクにこの『豊穣の海』を読むきっかけをくださったnakazumiさんの『暁の寺』評も合わせて読んでいただきたく紹介します。
印象的なシーンを見事に切り取っておられます。
ついでながらボクのナナメ読み記事も。