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ズッコケ戦略
母の記憶は5分と持たないと何度か書きました。
母の目の前に封筒を置くと、数分毎に封筒を開けては中を確認しようとします。
母にインスリン注射をした後、ボクがその注射器セットをしばらく置いたままにしていると、3分もすれば母は目の前の注射器セットを見て、これから注射するのかと思って再び服を脱ぎ始めたりします。
記憶がバグっていると、そんなズッコケ話だけではありません。なかなか不便なことが多いのです。
足が益々悪くなってきたので家の中で杖を使うよう促しても、杖は必ずどこかに置き忘れます。
杖ホルダーを数ヶ所配置しましたが、使われることはありませんでした。
良かれと思って買った多くの便利グッズは、使い方どころか、何のための物かも忘れてしまうので、悉く無駄に終わりました。
生活って、記憶できないと便利にはならないのです。
記憶つまり学習の積み重ねで生活は便利に快適になっていく。
人生もそうでしょう。
失敗を忘れず、こんな時はこうするのだ、こうなったらこれはしないのだ、ということを記憶して、人は成長するのです。
しかしボクは何度も同じ失敗をして、一日を台無しにしたり、妻を怒らせたりしている。
ということは自分も母と同じ認知症なのかもしれないな。
人類も同じかもしれない。
懲りずに同じ歴史という失敗を繰り返している。
人類も認知症なのかも。
うーん。
どうやら何かそれらしいことを言っているようで何も言っていない結論に向かっている感じだ。
修正しなければ。
久しぶりの執筆なので、どうも勘が狂う。
母の場合は脳という臓器に異常があって、器質的に思い出せないのだけど、ボクの場合は失敗は思い出せているはずなのです。
ただ、わかっちゃいるけどやめられない、のです。
あえて失敗に突き進んでいるような気がしてなりません。
よくあるセオリーとして、脳は目の前の快楽を優先させてしまい、将来の不快は予測しようとしない、というものがあります。
確かに、目の前のハイボールは魅惑的で、明日は二日酔いにならないかもと都合良く考えてしまいます。
今夜はダラダラとゲームをしたり漫画を読んだりしても、明日からはキチンと勉強するから大丈夫と都合良く考えたりもします。
そう、都合良く考えたい。
しかし眼前の快楽優先だけで説明できないことが多々あるような気がしています。
あえて失敗しようとしている時が何度もあるのです。
都合良く考えずに、わざとボロを出すというか、100点取れるところを99点もしくは80点にしようとしていることが、今まで何度もありました。
たぶんこれは嫌われたくない戦略、好かれたい戦略じゃないだろうかと思うのです。
やはり人間関係は大切です。
他人から好かれたい。
あまり完璧だと嫌われるかもしれない。
だからあえて失敗をして、てへへと可愛げのあるところを見せようとする。
そんなズッコケ戦略をとっているのではないかと。
うーむ、これは別の機会に詳しく説明した方がいいかもなあ。
あと妻を何度も怒らせてしまうことについては、おそらく“ズッコケ戦略“じゃ無さそうです。
妻に好かれようとして失敗、失言しているんじゃない。
たぶん嫌われて次の繁殖相手を探す機会を増やそうとしているのだろうというのが、純粋文化人類学的客観的に自分に問うた考察なのだけど、ぬー、こんなことを無防備に書いてていいのだろうか。
実は今日中に投稿しないと毎月投稿が途絶えるのですね。なので無理矢理な記事となっています。ええ酔っています。後半めちゃめちゃですが。ま、これも“ズッコケ戦略“なのですね。てへへ。それではまた。