健康で文化的な最低限度の『最低限度』ってどのくらいなのだろう?
僕はマンガが大好きなんです。
娯楽としてこれほど優れていて、いつ読んでも、どこから読んでもいいという、優しい媒体もないんじゃないかなぁと思っています。日本の宝、世界に誇れる文化であると、ガチのマジで思っております。
ただ、読んでいて嬉しかったり楽しい気持ちになれる作品ばかりではないです、当然ながら。
その時々の社会的背景を描いた作品、人間の闇の部分を描いた作品も数多くある訳で。
その中でもこの作品にはとりわけ考えさせられることが多かったです。
『健康で文化的な最低限度の生活』
新卒公務員の主人公「義経えみる」が、生活保護に関わる仕事であるケースワーカーの職に就き、様々な問題、悩み、葛藤を抱える受給者達とのやり取りを描いた物語です。
そのリアルな描写に、読んでいて思わず、生活保護受給者の苦しさが自分に憑依した様な思いに駆られ、苦々しい感情を覚えます。
家族のこと
この作品を読んでいると、自分の家族に対する感情をどうしても引き起こされるのです。
とっても個人的な話になってしまうのですが、僕がまだ実家に住んでいた頃、母の妹さんが色々な都合があり同居することになりました。
母方の祖母が亡くなり、高齢の父と2人、田舎の不便な土地で暮らすのは難しいだろうということで、突然家に暮らす人間が2人増えたのです。
当時の僕はまだ子供だったので、そこまで深く考えていなかったのですが、両親からすれば中々に難しい決断だったのではないかと思います。
母の妹さんは、生活保護受給者だと、後に聞きました。
その話を聞かされた時には、僕はもう実家を出て1人で暮らしていたので、「そうなんだ、、」くらいのテンションだったのですが、後になって色々と考える様になりました。
表現を恐れずにいうと、家族内に生活保護受給者がいるという事実が、後ろめたいことの様に感じていた自分がいたのです。
作中では、生活保護を受給することを拒み、「自分は生活保護なんかを受ける様な人間じゃない」と、生活保護を受けることを悪であるかの様に捉えているキャラクターも登場します。
これが難しいところで、誰もが1度や2度は聞いたことがあるのではないでしょうか、生活保護のお金でビールを飲んでいたり、パチンコに行ったり、という話。
それは果たして「最低限度の生活」に該当するのか?と。
世の中には、本当にやむにやまれぬ事情で生活保護を受給すべき人がいるでしょうし、その一方で、なんでこんな人間に税金が使われなければいけないんだ?と思ってしまう様なケースも、正直あるでしょう。
作中に出てくる言葉「生活保護はあくまで現在の困窮だけを見て、過去を問う制度ではない」がやけに響きました。
それでも、過去を見てしまうのが人間だろう、とも感じてしまうのです。
現在、僕は前職を退職して求職中の身です。幸か不幸か子供はいないのですが、結婚しており妻がいます。
正直、現状妻を不安にさせてしまっている事実に、仕事を辞めてしまったことに対する後悔を感じる時もあります。そして、この作品を読んで恐怖すら覚えることも、本当に正直に言ってしまうと、あります。
・・・って感じでしょう。お気持ち、お察しします。
それぞれ葛藤を抱えながら生きているということを我が事として実感しまくりの日々を送っています。
働かないとなぁ、とは勿論思う一方で、こういう制度にすがりたくなる気持ちも、理解は出来るのです。弱者の理論と言いますか。
上手く説明出来ないのですが、1度甘えることを選んでしまうと可能な限りずっと甘えてしまいそうな自分が居て、それを国が認めているんだからいいだろうという免罪符のように扱ってしまう自分が誕生してしまいそうになって、セーフティーネットの意義とは?とグルグル考えが彷徨って終わりが見えなくなるのです。
・・・って感じの話ばかりして申し訳ないんですが、大黒摩季の「熱くなれ」という曲の歌詞に
未来が見えないと不安になるけど、くっきり見えると怖くなる
というフレーズがあって、今は未来が見えなくて不安だけど、逆に自分の未来がくっきり見えてしまうこともまた恐怖なのかな、と。
なぜかこの作品と「熱くなれ」が奇跡の融合を果たすという謎展開。人間って分からないものですね。
健康で文化的な最低限度って?
ここで本題。作品のタイトルでもある「健康で文化的な最低限度の生活」って、一体どこまでなの?って思ったことがある人、きっと少なくないのではないでしょうか?
そんなもの、人によって最低限の暮らしなんて全然違うでしょうし、「チェンソーマン」のデンジくんなら毎朝パンにジャム塗って食べれたら最高っていうくらいなので、価値観によるよなぁ、と。
僕には弟が2人いるんですが、2人とも発達障害を抱えていて、2月に1度障害者手当をもらっているのですね。国におんぶにだっこ家族です。
実はそのことで悩んだりもしました。一般企業に就職した、結婚しただのと兄弟のごくごく普通の話をする友人の言葉が、ズキズキと刺さるんですよね。
勿論、友達は何も悪くないし、この話に悪者は1人もいないんですが、強いて言えばそれでズキズキしてしまう僕の価値観が悪なのかな、と。
割合その辺のことには蓋をしてご都合主義で生きているんですが、『健康で〜』を読んでいると、普通とは恐らく違う自分の家族との向き合い方を、否が応でも考えさせられるのです。
自分を責めて何かがよくなったことは過去にないので、自分も、都合よく他人を責めることも絶対選択しない様に生きてるつもりではいるのです。
ですが、タイムマシンがもしあったら過去に戻ってガッチガチに色々やり直そうとする、目の色がヤバくなってる自分の顔が想像できるので、そういう意味ではドラえもんが居なくて良かったわ、って感じです(何の話?)。
それぞれの人生があるー。
こんなにもキャラクター達の人生について、考えさせられるマンガはそうそうないでしょう。
本作品の主人公である義経えみるの純粋さが励みにもなり、ときにその不器用さが故に傷つくシーンに胸打たれたり。
プロレス好きがいうところの『受けの美学』という言葉があるのですが(※私は大のプロレス好き)、人間関係の面倒なあれやコレも、あえて受けきり、しっかりダメージを抱えつつも、その生き様を見せつけてくれる、えみるのぶきっちょさがまた美しくもある、そんな作品です。
僕も精一杯頑張って、それでも最低限度の生活を割り込みそうな水準に突入したら、えみるに話を聞いてもらおうと思います。