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009 乾いた海、山に棲む象 〜前編〜

山に吹く風が、一悶着も二悶着もありそうな気配を醸し出す。

昔ながらのラック式登山鉄道が歯型レールを頼りに急勾配を上って行く間、エドモンド・カーシュは高みにあるノコギリ状の山頂へ目を向けていた。遠くの崖の切り立った面に石造りの堂々たる修道院が立っていて、まるで魔法で絶壁と溶け合ったかのように宙に浮かんで見える。
スペインのカタルーニャにある時を超越したその聖所は、4世紀以上に渡って容赦ない重力に耐え、そこに暮らす者を近現代の社会から隔離するという本来の目的にしがみついてきた。そんな連中が真実を真っ先に知ることになるとは皮肉なものだとカーシュは思い、どんな反応が来るかと考えを巡らせた。

『オリジン 上』ダン・ブラウン 著、越前敏也 訳、角川書店、2018


この冒頭に遭遇した時、私はいつか此処へゆくだろうという予感がした。


Montserrat Abbey|Monserrat, Spain|2023

Montserratへゆく、そして出会う

私は細かく旅の計画を立てる方だけれど、それは計画を練ること自体を楽しんでいるのであって、実際には予定通りに行動しないことの方が多い。一通りの計画はシミュレーションのようなもので、何事もなくその通りに進めばスムーズに事が運ぶ。一方で新しい道筋が見つかったなら辿ってみればいいだけのことで、ここへ来たからこそ見つけられた道を行くのだから、望ましいくらいだ。

それに予定変更によって何かを失ったのだとしても、代わりに得たものは強く印象に残る。

X'masに断念した後で仕切り直し、結局スペインを絶つ前日、年の暮れにMonserratへ向かうことにした。それがToniと私を巡り合わせてくれた。

追い越したり追い越されたりしながら何となく言葉を交わしているうちに、お互いソロで来ていた我々は共に*Santサン Jeroni・ジェロニを目指すパーティになった。

Sant Jeroni登山口|Monserrat, Spain|2023

*Sant|聖人(カタロニア語)
隠遁生活する聖者たちの土地らしく、山の頂も聖人として扱われている

Toniはあちこち旅に出るのが好きらしく、日本へ行ったら富士山に登りたいと言っていた。私にとっての富士山は登拝とうはいではなく遥拝ようはいの対象なので、人生をかけて登らないつもりだけど、友人が海外からはるばる訪ねて来たならば、それは歩いてみる動機になるのだろうか。
やっぱり「どこから来たんだ?」と聞かれて、そんな話になった。

登山道はしっかり整備されているが、うっかりするといつでも転落できる

山を歩く目的は人によって実にさまざまで、皆が山頂を目指しているわけでもない。なんならToniはこの日たまたま散歩感覚で来ていたロッククライマーで、普段は崖を登ったりするらしい。
これには「道理で」と思った。私が歩き追い越す時、Toniはたいてい壁みたいな崖に間近で対面して見上げていたから、その壁を登るならどんなルートをゆくか(どこに手足を置くか)をシミュレートしていたのだろう。

蔓のような根でガッチリと岩を握りしめる植物

さて、何故こんなにもToniの話をするかというと、それはタイトルの『乾いた海、山に棲む象』について私に教えてくれた張本人だからだ。

Montserratには山羊もいる

薄明の頃にバルセロナを出発して、Monserratに近づくにつれて陽が上っているはずなのに寒く感じたから防寒対策に不安がよぎったけれど、何のことは無く歩いていると汗ばんだ。

登り始める前に購入したオリーブの塩漬け(ミネラル補給)

立ち止まって写真を撮ったり、良さげな出っ張りに腰掛けて景色を眺めながら休憩したりとチンタラ歩いていると、どこかから声が聞こえた。キョロキョロしてみると、15〜20 mくらい離れた対岸にいるハイカーが何やらこちらに向かって声を発していることに気づく。

何かと思えば、私たちの間にある低めの崖というか、出っ張ってステージのようになったあたりに野生の山羊が居た。すかさず山羊にカメラを向けてからお礼を返す。
ここは牧場かな?と錯覚するほど軽快に崖を駆ける山羊にとって、ここいらの岩山にひょっこりやってきた人間など何の脅威でもないのだろう。地の利のせいか、近くで人間がワイワイしていても、ゆったり平然としていた。

Iberian ibex(亜種名:シエラネバダアイベックス)|Monserrat, Spain|2023

そこへToniがちょうど追いついてきたので、Pay Fowardよろしく山羊の存在を伝えてみたら、「山羊なんていくらでも居るよ」というだけの素っ気なさだったので、私の勢い余った興奮は行き場を失くしてしまった。

聞けばToniは麓のすぐそこの町から来たらしく、2度目の「道理で」を味わった。おそらく地元の民にとっての山羊の存在は、奈良県民にとっての鹿みたいなものなのだろう。奈良シカたない。
けれどロック・クライマーとして岩場のライバル視をしているわけじゃあるまいね?と思ったことは、私の心の中だけに留めておくことにする。

Toniと共に歩き始めたのは、まだ森が続くこの辺りからだった

スペインアイベックス
学名:Capra Pyrenaica(偶蹄目ウシ科ヤギ属)
英名:Iberian ibex
4つの亜種のうち2亜種はすでに絶滅:低危険種(Red List ver3.1, 2011)

スペインアイベックス|Wikipedia

ちなみにIberian ibexの亜種は分布地体の黒色部の広さ角の間の角度の大きさの3つの観点で分類・報告されているらしい。

こういった階段は削って作ったのだろうか

地中海を巡る

石の階段を登ったりトラバースしたり、森を抜けたら巨岩が現れて、そんな風に移り変わるルートは飽きる暇がなかった。見る角度によって様々な顔を魅せる奇妙な巨岩群は、まるで天然の彫刻Nature Artsだ。

ただ風化・侵食に晒されているだけとは思えない奇岩っぷり

岩肌に苔のように蔓延る樹木によってこの岩山が支えられているのか、それとも植物が頑丈な基盤にしがみついてるのか、とにかくMontserratの山容は奇妙に思えた。
私が登ったことのあるロックな山の中で、最も剥き出しだった御在所岳の岩は切り出されたように角ばっていた印象が残っている。けれどここで見る岩という岩は丸みを帯びており、力を込めて巨石を押し固めた強靭な材を削り取ったり、粗めのサンドペーパーで摩擦したりしたように見える。
太陽の熱や雨風に晒されることで、そのような侵食を受けるだろうか。

劈開へきかいしたような箇所もあるものの、丸みを帯びた石をたくさん内包している

大小の石ころが目立つ地質を間近で眺めていると、「ここいらでは海の生き物の化石がよく見つかる。昔、海だったから」とToniが何の気無しに言った。

そうか、道理で……そうか、この堆積岩、なるほど海か。

3度目の「道理で」は少し違っていた。このバルセロナの旅の終盤において伏線を回収するような心地良さがあって、ガウディがこの山に注目した理由も、この記事の冒頭で取り上げたダン・ブラウンの『オリジン』がこの場所から始まった理由も、全部わかった気がした。

そんな話を次の記事『010 乾いた海、山に棲む象 〜中編〜』で書こうと思っている。

to be continued……

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