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10号オフ会②目が点の人々

台風10号を、頼れるウィンディ氏にお願いするとき、私は「夕方には帰ります」と約束した。
「その間だけでいいのでどうかお取り計らいの程お願いします」と。

だから切符も往復を買った。

あぁ、それなのに、それなのに。

私はシンデレラを演じるべきところ、竜宮城で浦島太郎を演らかしてしまった。
気づいてのぞき込んだ時計の針はアンビリバボーな時間経過を見せつけた。

8月の水星逆行は29日までで、私たちがオフ会をしたのは28日。
自分がいつも水星逆行でやらかすことを自覚していながらまたやらかした。

水星逆行期間中は交通機関だって注意しなければいけない。
知ってる。百も承知で、それでも私はやらかしたのだ。


うっかり飲み過ぎて予定の特急を逃し、次の便にギリギリ乗車した。
がしかし、列車は30分ほど走ったところで、通常は通過するはずの途中駅に停まった。

これから越える峠付近が集中豪雨で、他の電車との兼ね合いもあり、これより先へは進めないために様子見だと車内アナウンスで説明される。

同じアナウンスが10分置きに繰り返されるが、車掌の声のテンションが微妙に下がって行く。

停車したまま一時間が経過。

これは引き返すしかないかもと思いつつ、とはいえ、もう一つの手段の高速バスは最終便が出てしまっているし、どこか宿を手配しないといけないのかなとスマホを開く。
しかし、車内の皆さんが一斉にネット検索しているせいか、私のは繋がらない。

約束を破った私はウィンディ氏に「廊下に立ってなさい」とお𠮟りを受けているのだろうか。
いや、ウィンディ氏はそんなことはしない。
むしろ「オイラだって、もうこれ以上は踏ん張れねえんだよぉ」と、中国山脈上空で、他の龍とのせめぎ合いに悲鳴を上げている気がする。

私はおずおずと、バケツに水を入れ、「まじ、申し訳なし…」と、自ら廊下に立つ。そのバケツに揺らぐ水を見下ろしながら、これまでの最悪だった移動エピソードをあれこれ思い返す。

確かあれは朝早く、会議へ向かう列車で。
豪雪で立ち往生した車内で6時間過ごした。
ビジネスマンとおぼしき、陽気過ぎるおじさんグループに「まあまあ」と勧められて一緒に開けた缶ビールの生ぬるさ。

そしてあれは羽田空港で。
立ち込めた濃霧によって滑走路は閉鎖。フライトの目途が立たず、再開したとて地方空港へのフライト順は最後尾だ。結局、陸路8時間の移動を選んだ。
ヘロヘロで帰宅して開けた冷蔵庫に麦茶とヨーグルトしかなかったあの夜。

はたまたあるときの最終列車。あれはどこだったろうか。
豪雨で運行中止となり、見知らぬ過疎駅で降車するはめになり、待てども来ないタクシーを待った深夜。
自販機で飲み物を買おうとしてコインを落とし、土砂降りの中で探し回った。
もう二度とBossなんか買わねえと雨に唾を吐いた。

そんなアクシデントだらけの頃、仲の良い店長から送られて来た一枚の画像。

あの頃は、やたらに龍にまつわるものを見せられていた。

開いた雑誌に北斎の龍画、駅のホームの壁に大きな龍の絵画。歩いていた親子を眺めていたら、父親が手を繋いでいた子供に「リュウ」と呼び掛ける。
何でこんなに龍だらけなんだろうと思っていた。

「いいかげん、オイラに気づけっちゅーの」

画像にそう言われた気がして、それ以降の出張の折には「よろしくお願いします」と念じるようになった。
すると噓のように移動のトラブルに遭遇することはなくなった。
出張は3倍近く増えたのにも関わらず。

しかも、トラブルに遭遇しなくなったどころか、ツイてるとしか思えないことが多かった。

あんなに助けて貰ったのに、飲み過ぎてうっかり約束を反故にするなんて…

しょんぼり思いを巡らせていると、状況や見通しについて案内する車掌の丸い背中が見えた。

お客さん一人ひとりに深々とお辞儀をして丁寧に話しかけている。

お客さんたちも疲れた表情はしているものの、誰ひとり声を荒げたりする人はおらず、淡々と「はい、そうですか」「わかりました」と返事している。

結局、運行中止が決まり、車両を降りることになった。そしてホームの反対側に着いた電車で一駅先の姫路駅に戻った。
改札で躊躇しながらチケットを見せると「こちらへどうぞ」と、これまた割れ物を扱うかのように慇懃な誘導で別室へ連れて行かれた。

入ってみると、そこには私と同じく、すべての手段を失ってなす術のないお客さんたちの顔、顔、顔。

年齢、性別、職業もバラバラな人たちだが皆一様に「目が点」になって座っている。
皆、黙ったまま。ホントに漫画でよく見る「目が点」。
たぶん鏡を見れば私も彼らと同じ表情なんだろう。

一人ひとり、ヒアリングされた後、しばらく待っていると腕章をつけた駅員さんが宿の手配が出来たことを告げに来た。しかも費用はJR持ちだと言う。

「ご案内します」と誘導され、駅から2~3分のところのホテルへ。

思いのほかグレードの良いホテルに皆の表情がちょっと緩む。

「え? いいの?」

言葉は発していないけれど、同じ車両に乗り合わせた同士、戸惑いと、妙な連帯感を確認し合ってるみたいに視線を向け合う。

点だった目に徐々に光が戻り、ちょっと照れくさそうに笑顔を浮かべる人もいた。

この数時間、文句ひとつ言わず、誰かを責めたりイライラすることもなく、静かに、穏やかに努めていた彼らに私は「あんたたちが大好きだよー!」と叫びたい衝動にかられていた。

それは私たちに対応してくれたホスピタリティあふれる駅職員さんたちも含む。
宿の手配をするにも「差し支えなければ、お名前で呼ばせて頂いてよろしいですか?」と、いちいちそんなお気遣い頂かなくて構いませんのよってくらい手厚い接遇だった。

世の中はこういう一人ひとりの意識が繋がり合って出来ている。
何だかふっとそんなことを思った。


ホテルのエレベーターの前にはシャンプーやリンス、化粧水に乳液、シェービングクリーム等など、宿泊の準備をしていない私にも十分なくらいのアメニティが揃っていて、入浴剤はユーカリやジャスミン、シトラス系など、4~5種類並んでいた。フリードリンクのコーヒーマシンもある。

私はちょっとウキウキしてそれらを眺めていたけれど、あることに気づいて「近くにコンビニはありませんか?」とスタッフに声をかけた。

「二件ありますが、あいにくもう二件とも閉まっています」

スタッフの男性はまるで自分がオーナーかのように申し訳なさそうに答えた。

致し方なし。ということで私は潔く、部屋の洗面台で脱いだパンツを手洗いした。

やけによく泡立つボディソープだなあと、その香りにうっとりしながら泡に埋もれているパンツを優しくウォッシュして干した。
それからシャワーを浴びて、再びその液体のボトルに手を伸ばしたとき、それがボディソープではなくシャンプーだったことに気づいた。
髪だけでなく、明日の私の下半身も深紅の薔薇の香り。

着ていたシャツと綿パンも部屋に常備してある消臭スプレーをガンガンかけてハンガーにかけた。
一層、薔薇の香りが引き立つだろう。

翌日早朝、外に出て見上げた空は思いのほか高かった。

ベッドのマットもいいカンジに硬めで、枕も『横向き用』があってぐっすり眠れた私は足取り軽やかにホテルを後にする。

秋を感じる爽やかな風に乗って、時折ふわっと香って来るバラの香りが髪の毛なのかパンツなのか戸惑うのもぜいたくな気分だ。

今日中に帰れるかどうかわからないのに、私はちょっと浮かれている。

この辺りの温泉といえばどこだっけ?とか、明石海峡大橋をレンタカーでドライブするのも悪くないなとか、気づけばそんなことを考えて歩いている。

違う違う、そうじゃない。
私は猶予を与えられている。ちゃんと帰らねば。

姫路城を散歩してみようと向かっていたが、ものの30分しないうち肌を刺すような陽射しに変って気温も一気に上昇して行くのがわかる。

根性無しの私は決断が早い。
姫路城散策をあっさり断念してきびすを返す。

高速バスのターミナルへ着いて、運行状況のサイネージを見ると、私の帰る行き先だけ『調整中』と表示されていた。

まさか、高速道路もトラブルか?と、社名入りのビブスを着けて近くに立っていたターミナルのスタッフと思しきお爺さん(どう見ても70代以下に見えない)に

「あのぉ、〇〇行きは遅延とか出てるんでしょうか?」
と、表示板を指差しながら声をかけた。

「あー、それねー! 壊れてるよー」
陽気に笑う口元は前歯が1本ない。
お爺さんもネジの壊れたおもちゃのようだ。

「何でか、ずっと直さへんねん」

それの何がおかしいのか、うひゃひゃと笑うお爺さんにつられて私もうひゃひゃと笑ってしまう。

「台風の影響やったら、今んとこなさそうやで」

歯抜けのお爺さんだからと言って信用に値しないわけではない。
私は迷わず乗車券を買った。

高速バスの運賃は特急列車の半額以下で、千円を三枚入れてお釣りがじゃらじゃら落ちて来てびっくりした。

ターミナルのお爺さん、昨夜の取り残された一行、JR職員さん。
遭遇している状況をアクシデントと感じないでいられるのは、こうして巡り合わせている人たちのおかげかもしれない。

バスは定刻通りに出発し、定時到着した。
私は無事に帰り着いた。

その足ですぐ、駅の窓口へ復路の切符の払い戻しに行ったら、やっぱり乗り遅れた特急料金は対象外で、乗車券分のみの払い戻しだった。
ちっ…

そこは自業自得。そんなにうまいハナシはない。


ちなみに、たね二郎にこの話をしたら
「つまり、バスにしたから当初の予算内で収まったってことだ」
と、つまらなそうに言った。

「日帰りで遊びに行ったけど、泊まってけって言われて、おまけにこれで飯でも喰えって、親戚の叔父さんが小遣いくれた、みたいな」

「え? そうかな?」

「そうだろ」

何だかよく呑み込めなかったけど、たね二郎は計算が早いなと思った。



≪終わり≫



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