不覚にも突然若き日の傷が疼く
前回の日記にも書いたのだけれど、先月、台北の映画館で日本の実写映画「ブルーピリオド」を観た。
マンガ原作でアニメにもなっている作品で、音声は日本語、字幕が台湾中国語だった。
日本では外国映画は字幕と吹替えの両方が上映されていることが多いけれど、聞くところによると台湾は日本ほど声優の数も多くなく、海外作品の吹替え文化もあまりないそうだ。そういえば、アニメ映画「THE FIRST SLAM DUNK」を見た時も、字幕版しか上映されてなかった。
この映画は、物語が面白いだけでなく、人生の一時期を振り返るきっかけをくれた作品になったので、感じたことを書き残しておきたいと思う。
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そもそもタイトルが好き
数年前、色々な媒体で”このマンガが面白い”と紹介されていて知った。「ブルーピリオド」というタイトルを聞いただけで、「絶対私のタイプだわ」と思った。
ピカソが若くて、まだピカソ”になる前の20歳ごろから3年間程、青を基調とした作品ばかり描いていた「青の時代」と定義される期間があった。
それがそのままそれがタイトルになっているものだから、内容もそれに擬えたものだろうと思い、絶対に好みだと確信していたからこそ、逆にこれまで読むのが憚られた。(気になる相手とうまく話せないのと似ている。)
今回、台北でも映画が上映されるのを知って、ようやく決心がついたというわけだ。
話を戻すと、この映画では主人公が美術の課題をきっかけに絵に目覚め、国内最高峰の東京芸大を受験するまでが描かれている。その課題で描いたのが、青系統の色相のみで描かれた早朝の渋谷の絵。毎日のように友達と集まるその場所は、早朝になると静寂に包まれ、一面青く染まり、美しい。彼は高校生で子供ではないけれど大人でもない、未熟でこれから何にでもなれそうな人生の途中の「青の時代」。その中で突如夢中になれるものに出会い、成長していく。色々な意味で「ブルーピリオド」というこのタイトルがこの物語には似つかわしいと思う。
ふいに古傷が疼く
あまりにもレベルが違いすぎて恥ずかしいのだけれど、高校の頃、普通科から美術系の大学に進むことを考えていた。絵画教室、美術系大学受験の予備校にも少しだけ通わせてもらった。結局金銭的な面など色々と天秤にかけた結果、美術系へ進むのを諦めた。自分では納得して選んだ挫折だったはずなのだけれど、あれから長い月日が経った今でも時折古傷が疼く瞬間がある。
例えば、大勢の若者が視線を同じ方向に集中させ、石膏デッサンに取り組んでいる様子が視界に飛び込んできた時だ。美大受験予備校の夏期講習会場の大きな窓の横を偶然通りかかっただけなのだが、その刹那心臓が大きく波打った。
若い頃に夢中になったことだからか、好きなのに諦めたからか、随分昔のことで人生の中のほんの短い間のことなのに、一瞬でフラッシュバックしてしまう。完全にきれいな思い出として大切にしまってあるはずだったのに、否、だからこそなのか、自分でもわからないが似たようなことがこれまでに数回あった。
今回も映画にのめり込んでワクワクする一方で、同時に苦しくて、終始早い鼓動がおさまらず、心臓をぎゅっと握られるような苦しい瞬間もあった。でも観終わった後はすっきり晴れやかな気分だった。自分にとっては若い青い時期に起こった人生の転換点だったわけで、それは無自覚にも傷を残していて、不意に起こる荒療治で時間の経過も相まって、少しずつ癒えて行くのかなぁとも思う。
小説でも漫画でも映画でもアニメでも、方法は何でもいいのだけれど、色々な物語に触れ、没入すればするほど、自分自身とは別の境遇や人生を疑似体験ができる。それは人生にはこんなにも素晴らしいことが待っているかもしれないと夢を持たせてくれる一方、これほどまでにままならないものだと言うことも同時に教えてくれる。そうすることで自分の人生で起こるさまざまな理不尽にも「まぁ、そういうこともあるよね」などと折り合いをつけて生きて行く助けになる気がするし、ちょっとした古傷も癒してくれそうだ。
そんなわけで、今度こそ原作かアニメもちゃんと見ようと心に決めた。これからは直感に従って、「タイプ」と思った作品があったらすぐに鑑賞しようと思う。