よしなしごと 2024年10月
思い出したこと、気づかされたこと。
つらつらと。
畏怖の念
最近になってもまだまだ気温は暑いのだけど、ここ台北でも少しずつ夏の勢いに陰りが見え始めた。まだしばらく薄着で過ごすことにはなりそうだけど、聞くところによるとマンゴーかき氷の今年の営業も終了したみたいだ。季節の変わり目に差し掛かったからなのか、天気が不安定な日が続いている。
出勤中に信号待ちしていると、傍らで年配のご婦人が東の空に向かって手をかざしたり拝んだりしている(掌を合わせて額の斜め上まで上げている)。
彼女の向く先に首をひねると、久しぶりの真っ青な空に太陽が燦燦と輝いていた。ふと見上げた空がとても美しかったことは言うまでもないが、ご婦人がその日こうして生きられていることに感謝しているように見えて、その姿にも感銘を受けた。日本でも古くから”お天道様”と言うけれども、台湾でも同じような考え方があるのだろうか。美しい光景だと思った。
同じ日の帰り道、疲労困憊、抜け殻状態で同じ交差点にたどり着いた。沢山の人が同じように信号待ちをするザワザワとした光景の中に、空に向かってスマホを構えている若い女性がいた。おや?と思いその方向を見上げると、まんまるお月様が優しい光を放っていた。そうだ、確か今日はスーパームーンだった!と思い出し、私も急いでスマホを取り出す。
奇しくも同じ日に出くわしたゆきずりの人に、朝はその瞬間までただの忙しない時間だったのが、陽気がこんなにも爽やかだということに気づかされ、晩には美しい満月を愛で、心が癒される時間を与えてもらったような気になった。そして太陽も月もそれぞれに美しく、何故か見守られているような気持ちになる。自然の畏怖の念を思い起こさせるような、ありふれているようで不思議な気持ちになる、そんな日だった。
人間の体温
先週投稿の読書感想文を書きながら思い出したこと。
文中でも少し触れたのだけど、子供の頃、悲しいことや辛いことがあった時、うちの父親は私に向けて手を広げて見せ「(ここへ)飛び込んでおいで!」言った。ハグをすると不安な気持ちが和らいで大丈夫になるからだ。就職活動中は、「緊張したら自分の掌を繋いでみなさい。落ち着くよ。」と言うので、面接のときは必ず自分の掌を合わせて繋いだ。そしていつしかそれは癖になって、20年近く経った今もプレゼンなど緊張する場面ではそうしている。
今まで長いこと忘れていたけれど、父方の祖母が亡くなった時や父の親友が亡くなった時に、私も父に向って無言で手を広げたことを思い出した。
全然意識していなかったけれど、きっと父がいつもそうしてくれていたからなんだろうな。
それはあまりにも遠すぎた
妹の友人で、現在戦争状態にある国にお住まいの方が亡くなったのだそうだ。空爆からの避難中のことではあったものの、実際のところどのように亡くなったのかは不明で、SNSで垣間見るご家族の様子からすると空爆が直接的な原因ではなさそうだと言うことだったが、数日前まで連絡を取り合っていたそうで、妹はひどくショックを受けている。
国の名、出てくる不穏な単語。
日々のニュースで見聞きしているはずだし、世界の各所であらゆることが起こっていて、毎日考えていたはずなのに。それはあまりにも遠すぎた。
自分から数えて”隣の隣”にいる人が置かれた状況や避難の最中に亡くなったことを聞き、戦争という二文字が突然ぴったり背後まで迫って来たような感覚になり、背中がひんやりするのが分かった。