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遠慮と配慮は別物。
この話、実は入社した当初ずっと支社長から言われていたことです。
簡単に言うと、「”相手のため”というのは”嫌われないようにすること”ではない」ということなのですが、、、
これ、頭ではわかるのは分かってたのですが、実践できるようになるのにはめっちゃ大変(ぼくも現在進行形で勉強中)で、とにかく覚悟が必要という話です。
相手を困らせたい人は(ほぼ)いない
先日、こんなブログ書いてみてました。
この中で、「信用は砂の城のようなもので、地道に積み上げるには遠慮するのではなく相手のためになることを」という話を書きました。
それはそうで、よく「相手のために」ということを求められたり、がんばろうとしたり、何かのときにそう言うことはあると思います。
というか、そもそも「相手のためにならないことを積極的にやろう!」と思ってるサイコ野郎は少数だと思うのです。ですよね?
ただ、難しいところが、ホントに相手のためになることをしようと思ったときの伝え方って相当難しいのです。
伝え方ひとつでパーになることも
変な話ですが、「相手のためになると思って!」とズバッと言ったところ、相手が傷ついてしまって「バカ!もう知らない!」と言われることもあります。(ぼくは割とそのパターンorz)
逆にそうならないようにと、慎重に「分かる、うんうん」と聴くことに徹し過ぎると、それはそれで相手が話すことに満足してしまって、「今のままでいいんだね!ありがとう!」と変な肯定になってしまうこともあります。
そもそも相手に意見をすることが是か非か?というところもあり、
伝えなくてもいいんじゃないの?相手が気づくの待つしかないよね?
という意見すらありそうですが、確実に言えることは、喧嘩することになるかもな~と思いつつ、きちんと「私はこう思うよ」と意見を伝えてみて、相手がそれでどう思うかは相手次第だよね、というスタンスで話す必要はあると思います。
たまには手を引っ張ることも必要
これも支社長からよく言われる話ですが、子どもが交通量が多い道に飛び出そうとしていたら「危ない!」と子どもを怒ると思いますが、それはなぜ怒るのかと言えば、叱りつけたいからではなく、本当に取り返しがつかないことになってしまわないように本気で注意しているから、なのは間違いないです。
もしこのときに「危ないよ~出ない方がいいよ~」くらいで相手の判断に任せてしまったら、取り返しがつかないことになるかもしれないので。
ある程度間違いないと思えることについては、多少手を引っ張ってでもキチンと伝えてあげるのがやさしさというものだと思います。
結局はトコトン付き合う覚悟
とはいえ、それでもお節介になって耳障りになることもあると思うので、その距離感の計り方は「とにかく付き合う」ことに尽きるんですけどね。。
この労力を覚悟しないと真の相手への配慮にはつながらないと思います。
ぶっちゃけ言うとめっちゃめんどくさいところではあるんですけど、ここを「あなたと向き合う」と覚悟を持って向き合うことが出来れば、いつかは相手と理解し合えると思います。
逆に言えば、その覚悟が持てないなと思うのならば、中途半端に何かお節介をしてしまわない方がいい、ということですね。(冷たいかもだけど)
少なくともぼくは自分を信じてくれる方にはきちんとコミットしようとは思います。ただ全員にそんな調子のいいコミットは出来ないので。。
うまくやってる人まじすごい。
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