インドネシアの島めぐり18日目 ティモール島で新年を迎えアロール島へ移動する
2024年を迎えクーパンの人々はよほど興奮したのだろうか。
騒がしい音で真夜中に目が覚めたら、外では花火が次々と打ち上げられる音がしている。しかもかなりの至近距離で大量にだ。
わたしは眠かったので無視して寝るつもりだったが、いったいどれほどのものなのか見たくなり、部屋の外に出てみた。
すると、ミニチュアの花火をそこら中の家が打ち上げており、日本で見るような美しい大玉の打ち上げ花火を期待していたわたしにとってはがっかりな結果だった。
爆竹を鳴らしているのに近い。音だけは威勢がいいが、姿かたちが見えず白い煙だけ上がっている家もある。
流石に玉切れになったのだろう。20分も経つと音は散発的になり、30分でほぼ聞こえなくなった。
わたしは1分ほど様子を見て部屋に入ったので、玉切れになる様はベッドに寝ながら音だけ聞いていた。
そうしてうつらうつらしながら、むしろ最初から音だけ聞いて実物を見なかった方が、夢があってよかったんじゃないかと思い返した。
しかしすぐに、いや、やはりショボいという事実を知れたことの方が重要だろうともう1人の自分が反論し、そういえば世界三大がっかりというのは、行くべきではないという結論ではなく、むしろ行ってガッカリしてこいという体験を促しているのではないか説を考えながらまた眠りに落ちた。
そして朝はスッキリ目覚めて空港に向けグラブバイクにまたがり出発した。
乾燥しているせいか気持ちが良く、早朝のうちなら空港まで歩いていくのも悪くなかったかもしれないと思った。
夜更かしした連中がまだ寝入っているのか、町は静かだ。
空港からカラバヒの町に出る
アロール行きのウイングスエアは予定通り8:15にクーパンを離陸し9:00にアロール島のマリ空港に到着した。
とても小さな空港で、普通なら群がってくるはずのオジェックたちがいない。ベモやバスらしきものも見当たらない。
わたしは人の良さそうな空港職員の青年に、「カラバヒの町に出たいのだが、オジェックかベモはないだろうか」と尋ねてみた。青年は快く「わたしが探してあげよう」と請け合い、あたりにたくさんいるぶらぶらしているように見えるおじさん達の顔を見ながら歩くと、爽やかにこちらを振り返り「いないようだ」と言った。
わたしはどうしたものかと途方に暮れたが、青年は友人に連絡を取ってくれ、わたしの送迎をしてくれると確約してくれた。
やってきた30代と思われる男性は、体中からパーム酒の匂いをただよわせ、ロレツも回っていないようだ。インドネシア語が下手な可能性もゼロではないが、何を言っているのか聞き直さないとわからない。
わたしは不安になったが、他に選択肢はないし、何より空港職員のご好意に甘えて呼んでもらった手前ケチをつけるわけにもいかず、仕方なくバイクの後ろに乗った。
運転手は意外にもゆっくり安全運転で進んでいるが、時折り首がかくかくと不自然に揺れるため居眠り運転をしているんじゃないかと不安になり、意味のない質問を投げかけては起こした。
運転手は全くスマホの地図を見る気がなくわたしに頼っており、仕方なくわたしがグーグマップを見ながらここを曲がれとか、まっすぐいけとか指示を出してようやく目的のホテルに到着した。
宿は町で1番安いという情報を得ていた宿で、思っていたより綺麗で池にコイがいるところが気に入った。
そして値引き交渉をしてみたが、主人の華僑は一切値引きをしなかった。自分のところが一番安いと確信していて、この町ではこの値段がベストだと言っていた。
1泊朝食付きで250,000ルピア(2500円)と高いが仕方ない。
アロール島とカラバヒの町
アロール島は火山活動が活発なため土地が隆起しており、平野部はカラバヒという島で唯一の町があるところにしかないらしい。平野といっても山がなだらかに海に向かって傾斜している部分が多く、平らな場所はわずかしか無さそうに見える。
こんな地形のため作物の生産量は低く、産業もほとんどなく、人口は島全体で17万人と少ない。カラバヒの人口が60,000人だ。
働き手はシンガポールの横にあるバタム島に出稼ぎに行くため、バタムとアロールを結ぶ船が出ている。
人が少なく産業もないということは、自然へのダメージが少なく美しい景色が広がるという、わたしがこの旅行で発見した法則が当てはまり、この島はとても美しい。
わたしは、交渉相手としては手強いが、情報収集相手としては最適な若い華僑の宿主に色々と話を聞いてみた。
まずはジュゴンに会えるか、会えるとすればどこかを聞いた。
すると、空港の近くにあるパンタイマリの桟橋に行って、そこにいる漁師を捕まえて海に出ればいるということだった。
「そうだな、漁師には150,000ルピア(1500円)払ってやるといいだろう」と桟橋周辺をちょろっとまわればジュゴンに会えるかのように聞こえる。
幻の動物ジュゴンがそんな町中にいるとは意外だった。わたしは車で何時間もかかる人里離れた秘境のような海辺か、あるいは船で数十分先の無人島の浜辺あたりで、ジュゴンが戯れているのを少し離れたところから観察するとイメージしていた。
ジュゴンは人慣れしていて触らせてくれるようだ。わたしはジュゴンを撫でる自分の姿を思い浮かべて非常にワクワクした。
主人はわたしを相当な海の動物好きと見てとったのだろう。イルカがたくさんいる場所もあるぞと教えてくれた。
それは、海水温がそこだけ異常に低くなる海域で、小さな魚は低体温症で動けなくなるため人々が海に入って手づかみするところらしい。
Alor Kecilというカラバヒの町から西南方向へ、海づたいに12、3キロ行ったところにある岬の町だ。
ジュゴンに続き、イルカも人の生活圏で暮らしているようだ。イルカは何度も見ているのでジュゴンほど見たいと思わないが、興味深い話だった。
主人は温泉には興味がないらしく、わたしがネットで収集した以上の情報は得られなかった。道路状況を確認したくらいだ。
その代わり、温泉から戻る途中に伝統的な村があり見学できると教えてくれた。タクパラ村という。有料でコスプレもできるそうだ。あとあめを持っていって子供達に配ってやるといいと教えてくれた。
戦後のアメリカ駐留軍のような行為は趣味に合わないが、郷にいれば郷に従えだ。気持ちは大阪のおばちゃんで行くことにする。
要は、恵んでやるのではなく、親愛の情を示すということだ。
明日はツアー客のようなとても忙しい1日になりそうだ。
他にアロールに行ったら絶対に魚を食べろと昨日美容室で聞いた話を持ち出し、どこがおすすめか聞いた。わたしが小さめの魚を一匹に、イカかエビも食べようと思うと言ったら、エビとイカはないと教えてくれた。
また、「焼き魚には冷えたビールだよね」と言ったら、「そこにはビールは置いていないから、外で買って持ち込むと良い」と地元ルールを伝授してくれた。
カラバヒの町をぶらっとする
情報収集後、部屋でシャワーを浴びてしばらく休むと町の様子を見に出かけた。
宿の近くにモコ博物館と市場があるので見に行こうと思ったのだ。
モコとは青銅器のドラムで、北ベトナムのドンソン文化を起源とした祭事用の楽器と書いてある。インドネシアの各地で発見されていて、アロール島はモコが伝わった東端になる。
伝わっただけでなく、とても珍重され、貨幣代わりになったり、地位や権力の象徴でもあった。アロールの人たちはモコが好きすぎて、中国やジャワ島で作られたモコを徹底的に集めたので、インドネシア各地はモコ不足になったらしい。
そんな経済力がこの島にあったとは思えず疑わしい話ではある。
島続きのフローレス島はモコではなく普通の太鼓が地位の象徴とされ、伝統家屋の大黒柱にいくつもの太鼓がぶら下がっている。なぜこの島は青銅器だったのか、しかもドンソン文化という紀元前5世紀の青銅器文化時代の遺物を大事にしたのか謎は尽きない。
謎を解明しようと意気込んで出かけたところ、博物館はお休みだった。
市場も開いていそうだが、閑散としている。
食堂も休みのところが多く、昼はカップラーメンになってしまった。
新鮮な魚を炭火焼きで食す
宿主オススメの店は正月で閉まっており、わたしはGoogleマップで目星をつけたIkan Bakar屋へ行ってみた。
それは港近くの海沿いにあり、いかにも魚屋がありそうなエリアだ。
行ってみると、わたしのイメージと違わぬいかにも簡素な店、というよりは道端の一角だった。
クーラーボックスを開けて、石鯛に似た魚を選び焼いてもらう。35,000ルピア(350円)。
台に魚を並べて見せるのはインパクトはあるが、温度管理や清潔さの面ではクーラーボックスに入れている方が信頼感がある。
焼いてもらっている間に付近の店を周りビールを探したが発見できなかった。仕方なく暖かい紅茶を頼む。
魚は美味しかった。ただ、フローレス島のラブアンバジョで食べたのとそこまでの違いはなく、アロールだから何か特別な新鮮さがあるというわけではなさそうだ。
ビールは結局見つからずじまいで、正月から断酒となってしまった。
明日に備えて早く寝ることにする。
みなさま、遅ればせながら
新年明けましておめでとうございます。
皆さまの一年が素晴らしい一年になりますよう願っております。