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インドネシアのヌサトゥンガラ諸島、モルッカ諸島を45日で回る【プラン】

12月12日の最終テストから2月の授業開始まで長期休みに入るため、雨季のオフシーズンではありますが、島嶼部を旅することにしました。
といっても、まだ試験が残っており、なんの準備もしていません。
ただ、テスト翌日13日の飛行機に乗ると決めただけです。

1ヶ月以上の旅は、大学4年の夏に自転車で東京から下関まで行きそのまま韓国一周した時以来約30年ぶりです。

今は雨季なので、船や飛行機の欠航、遅れが頻発するリスクに備え、スケジュールは大まかにし、ざっくりと3つのパートに分けました。
パートごとにデッドラインを設け、期間内にその地点にたどりつけなければバンドンに戻ります。
マラソンでよくある関門の時間制限と同じコンセプトです。


1.おおまかな日程

パート1:バリから船と陸路でフローレス島まで行き、飛行機でティモール島、アロール島を回って、スンバ島経由でバリに戻る。(第1関門:テンパサールに1/15着)
パート2:バリからマカッサル経由でモルッカ諸島のハルマヘラ島周辺を回る。(第2関門:マカッサルに1/23着)
パート3:マカッサルを起点にモルッカ諸島のアンボン、ブル島を回る。

赤線は飛行機、緑は陸路と海路

2.おおまかな予算

交通費:飛行機1回あたり平均1万円×12回=12万円
レンタバイク代:1回3000円×7日=2.1万円
フェリー代とバス代:平均500円×20回=1万円
ツアー代:平均1万円×2回=2万円
ホテルと食費:1日4000円×45日=18万円
合計35.1万円

金と時間では金を犠牲にし時間を取る方針です。
あと貴重な場所に行けるチャンスがあれば、金と時間は惜しまない方針です。例えば温泉ですね。

1か月半で7か月分の生活費を使う大胆な金遣いです。
寮のスタッフやクラスメイトからは「Makotoは金持ちだ。」と言われています。

3.持ち物

デイパック1つと腰につける貴重品用のバック1つにまとめます。

(1)貴重品
パスポート、KITAS、学生証、免許証、銀行ATMカード、クレジットカード
キャッシュ
(2)電子機器
スマホ、iPad、イヤホン、腕時計、各種充電器、予備バッテリー
(3)日用品
:長袖1枚、Tシャツ1枚、パンツ2枚、靴下2足、水着兼短パン1枚、雨具の上
アメニティー:タオル1枚、石鹸1つ、洗剤、歯ブラシ、爪切り、ティッシュ、綿棒
その他:コッヘル、はし、水筒、ヘッドライト、方位磁石、サンダル、地球の歩き方、サブ眼鏡、虫よけオイル、ノート、ペン

身に着けるもの:登山靴、長ズボン、Tシャツ、靴下、パンツ、タオル(ぼうし代わり)、眼鏡

4.行く場所

優先順位としては温泉です。とにかくたくさんあるようなのです。

他に温泉がなくても行きたいのは、
① コモド島、リンチャ島、パダール島(コモドオオトカゲと絶景)
② モニ村と3色の湖
③ インドネシア最南端(ロテ島と沖合の島)

現時点でリストアップした温泉の位置は以下の地図の赤い点の通りです。
縮尺図が違うので混乱するかもしれません。申し訳ありません。

ロンボク島、スンバワ島の温泉の位置
フローレス島とアロール島の温泉の位置
ハルマヘラ島の温泉の位置
アンボン周辺の温泉位置

温泉が多いフローレス島を最優先にしていますが、温泉を除けば、第2、第3パートのモルッカ諸島に興味があります。

香辛料を求めて大航海時代が始まったとき、モルッカ諸島こそが世界でもっとも重要な場所だったのです。
当時スパイスはイスラム商人からベネチア商人を経てしか購入できなかったため、彼らがぼろ儲けするのを指をくわえてみているのに耐えられず、航路を開拓しモルッカ諸島を目指したのが大航海時代のきかっけです。

金の国ジパングはこの世に存在しませんでしたが、スパイス諸島は本当にありました。

スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスが小さな島々を巡り争いました。胡椒と金がグラム当たり同じ価値を持っていた時代です。
様々な歴史上の出来事があり、なかでもおもしろいのが、ルン島という周囲10キロにも満たないバンダ海に浮かぶ小島とニューヨークのマンハッタン島が交換された話です。

ナツメグが生い茂る島で、オランダはマンハッタンよりこっちの島の方がほしかったので、イギリスと交渉のうえマンハッタン島と交換しました。

われわれ人類の価値観の移ろいやすさ、無常観を感じます。

旅の模様は定期的にNoteにアップしていく予定ですので、よろしくお願いします。


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