もしかしたら、いつの日か禅の極意を掴む日が来るかもしれませんね。
チベット・インド旅行記
#40,ブッダガヤ③
【前回までのあらすじ】まえだゆうきは、インドのブッダガヤで10日間の瞑想コースを受けたのであった。
旅は風を切りながらどこまでも転がり続けていく。
ブッダガヤ郊外のゲストハウス、ババアシュラムには、ヴィパッサナー明けのメンバー達が集まり、今日もわいわい楽しくやっている。
中でも特に仲良しだったのが、私と、ロシア人のサーシャと、日本人のマモさん。
マモさんは30代後半、日焼けした肌と坊主頭に眼鏡がよく似合う優しいお兄さんで、ヴィパッサナーコースには何度も参加した事があるのだそうだ。
繰り返しコースに参加するうちに覚えたゴエンカ氏の法話を、インド訛りの英語で本人そっくりに真似するものだから私もサーシャもいつも爆笑していた。
そして、初対面の私をいきなり修行の旅に誘った男サーシャ。
その昔フランスで禅を学んだサーシャは現在、座禅の修行を続けながら旅をしているのだそうだ。
少し禅の話をしよう。
その昔、明治から昭和にかけての頃、澤木興道(さわきこうどう)という一人の禅僧がいた。
生涯にわたって定住する寺を持たず、「宿なし興道」と呼ばれた澤木は、その人生の中で数々の後進を育てた。
そんな澤木の弟子の内の一人に、弟子丸泰仙(でしまるたいせん)という僧侶がいた。
弟子丸は、師匠である澤木興道の遺命を受け、仏道を広める為シベリア鉄道に乗り単身ヨーロッパに渡った。
長旅の末フランスに着いた弟子丸は、レストランで皿洗いなどの見習いをしながら座禅の修行を続ける事になる。
そんなある日、部屋で一人座禅を組む弟子丸の姿を、レストランの同僚がこっそり覗き見た事をきっかけに噂が広まり、ヨーロッパ中にZENブームが巻き起こった。
後年にはパブロ・ピカソやアンドレ・マルローをはじめ、多くの人たちが弟子丸から禅の教えを受け、フランスに立派な禅のお寺も建った。
(1980年)
サーシャは禅を学ぶ為ロシアからフランスに渡り、寺に住み込みで修行を続け、弟子丸の一番弟子であるフランス人僧侶から免許皆伝を受けたのだそうだ。
話を少し戻す。
若き日の弟子丸泰仙(でしまるたいせん)が澤木興道(さわきこうどう)と初めて会った時、澤木興道は弟子丸に対してこう言い放ったと伝えられている。
「お前がここに来る日を、私はずっと待っていた…」。
「…。
えーと。
つまりはサーシャ。
サーシャは澤木興道みたいにカッコいい台詞を言いたくて、私に会うまでずっとそれを温めていた。っていう事で良いのかな??」
「おほん…、うぉっほん!
まぁ…、なんというか…、それはだな…。
つまり、俺はこの禅のスピリットを伝える事の出来る弟子を探して旅をしている。
ユーキ…、日本の心を持つお前ならば、きっとそれが分かってくれるはずだ!
そうだろう?マモ!」
いきなり振られてマモさんが口を開く。
「う~ん…。まぁ確かに、ユーキがブッダガヤに来た事も、ヴィパッサナーを受けてサーシャに会った事も、何か縁があったとも言えるかもね」。
マモさん…、なかなか調子の良い事を言う男である。
ブッダガヤの街の中心には、2500年以上前にお釈迦様が瞑想をし、悟りを開いたと言われている菩提樹の樹が今も立っている。
長い年月を経て天空の城ラピュタのようにわさわさと茂った樹のたもとには、世界各国からの仏教徒達が集まり祈りを捧げる。
オレンジ色の袈裟はタイ、ミャンマー。
赤い袈裟はチベット、ブータン。
灰色の袈裟は韓国。
黒は日本。
そんなブッダガヤの片隅に、我らが日本寺も存在する。
禅、というより日本のカルチャー全般が大好きなサーシャは、日本寺があると聞きつけるや否や、私とマモさんを連れて毎日のように日本寺に通った。
ブッダガヤの日本寺は、日本にあるお寺と比べても遜色の無い立派なお寺である。
広い敷地の中には大きな仏像が祀られた本堂があり、離れには道場や、日本語の書籍がたくさん集められた図書館もある。
お寺には日本からやってきた駐在のお坊さんが一人。
駐在のお坊さんは色々な宗派から順番に選ばれてやってくるらしいのだが、この時はたまたま曹洞宗(禅宗)のお坊さんが駐在していたからサーシャの感動もひとしおだ。
私が図書室で手塚治虫著のマンガ「ブッダ」を読み耽っている間、毎日住職さんとお茶を飲みながら熱く禅について語り合っていた。
日本寺の住職さんは、いわゆる世襲のお坊さんではなく、発心(自ら出家を決める事)してお坊さんになった人だ。
若い頃はやんちゃをして随分と波乱万丈の人生を送ってきたらしいのだが、高校時代の恩師に諭されて京都のお寺に修行に出たという。
ところが、お寺での修行中に嫌気が差して脱走。
日本各地を転々としながら旅と仕事の日々を過ごす内に、30歳を過ぎてからもう一度仏道を学ぶ決意を固め、寺に戻り、僧侶になったのだそうだ。
若い頃のやんちゃさなど微塵も感じさせないような、ほがらかな笑顔を見せる住職。
ふっくらとした顔と太い眉毛、眼鏡の下の優しい目が、長い長い旅の末に見つけた安らぎを感じさせた。
熱い日本茶を飲みながら住職が口を開いた。
「ところで、前田さんは何で旅に出ようと思ったんですか?
何で旅を続けているんですか?」
「う~ん…。
それがよく分からないんです。
今思えば、自分と向き合う為に旅が必要だった気もするし。
旅を続ける事に何か意味があるような気もしているし…」。
「あははは。
まぁ、要するに旅が好きだ。っていう事なんでしょうね。
いいんじゃないですか?それで。
なにも難しく考えなくていいと思いますよ。
そうそう、サーシャさんでしたっけ、お連れの方もチャーミングで素敵な方ですしね」。
「ありがとうございます。
サーシャも、本物の日本のお坊さんに会えて感動しているようでした。
…ところで、つかぬ事を聞きますけど。
住職さんって、悟りを開かれた方なんですか?」
住職の太い眉毛がピクリと動いた。
「ふむ…。そうですね、仏道を歩む身として嘘をつく事は許されていませんから正直にお答えしますと…、
悟ってますよ。私」。
おぉ。と思わず口に出しそうになった。
「ただ、前田さん、あまりその質問はむやみやたらとしない方がいい。
昔々の話になりますが、僧侶は嘘をつけないという決まりを逆手にとって悟りの質問を投げかけ、ライバルを失脚させる。という悪習が続いた時代もありましたから」。
住職はここでひと息間を置いてから質問を繋いだ。
「ところで前田さん。前田さんは悟りを開きたいですか?」
「ええっと…。
いや…、あの…、その…。
実は僕、10日間の瞑想コースを受けた時、その事について考えたんですけど…。
悟りを開きたいかと聞かれたら悟りたい気もするし。
今のまま、迷ったり悩んだりの人生でもいいかと聞かれたらそれでもいい気がするし。
正直、ちょっと分からないんです」。
「あははは。
前田さん、心配しないでください。
悟ったからといって悩みがなくなる訳じゃないですよ。
でも…」。
住職は、私の瞳の奥までじっと覗き込むようにしてから言った。
「もしかしたら…。
前田さんならば、いつの日か禅の極意を掴む日が来るかもしれませんね。
どうか、前田さんに良い仏縁がありますように」。
住職に面と向かってそんな事を言われた私は、何だか急に気恥ずかしくなって、飲みかけのお茶もそのままに、そそくさと日本寺を後にした。
ババアシュラムに向かうリキシャを捕まえ、ブッダガヤの街を振り返る。
大きな菩提樹の樹がこんもりと、街の中心に茂っている。
2500年前から変わらぬ風景。
そっか。
縁か…。
もしかしたら、サーシャと修行の旅に出るのも面白そうかもな。
→ブッダガヤ編④に続く
【チベット・インド旅行記】#41,ブッダガヤ④へはこちら!
【チベット・インド旅行記】#39,ブッダガヤ②へはこちら!
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