そしてチベットへ
チベット・インド旅行記
#19, ゴルムド
【これまでのあらすじ】遠くチベットの地を目指し、旅に出たまえだゆうき。旅立ちから4ヶ月が過ぎた今、ようやくチベット入りが現実のものになろうとしていた。
中国青海省ゴルムド市。中国内陸部に位置するこの街は、世界の屋根チベットへ陸路で潜入する際の要所の街だ。
潜入という言葉を使ったのには理由があって、私が旅をしていた2004年時点では、まだまだチベットは一般の観光客を受け入れるような場所ではなかった。
1951年の中国政府によるチベット侵攻以後、亡命したダライ・ラマ法王はインドに亡命政府を作り。国際世論に、チベット独立を訴えかける活動を続けていて。
国際社会からの非難を嫌がった中国政府は、チベット自治区への一般観光客の受け入れを禁止していたのだ。
チベット自治区は平均標高4,000mを越える高原である。
ヒマラヤ山脈、崑崙山脈など、名だたる山々が周囲を連ね、おいそれと人を寄せ付けない。
現在でもチベットに至る道は限られており、ゴルムド〜チベットルートはその数少ない潜入路の一つなのだ。
カシュガルからのパキスタン入国に失敗した私は、酒泉の街で再度ビザを延長し、ワンバ(中国のネットカフェ)で情報を集め、ついに、
ゴルムドの街で長距離トラックをヒッチハイクすれば、検問をすり抜けてチベットに入る事ができる。
という情報を掴んだ。
中国では中途半端な情報に踊らされて右往左往する事が多かったので、半信半疑のままゴルムド行きの電車に乗り込む。
21世紀になったとはいえ、チベットはまだまだ世界の秘境。そう簡単に入る事が出来るのか?
もしも、ゴルムドでトラックが見つからなかったらどうしよう。
情報がデマで、検問で捕まってしまったらどうしよう。
期待と不安を抱えつつ、電車を降り、恐る恐るゴルムドの街に足を踏み入れた。
改札を抜けた途端、バスターミナルで、沢山の男たちに取り囲まれた。
「チベット、チベット、チベット!」
「チベット、チベット!」
「西蔵、西蔵!」(チベット、チベット!)
口から泡を吹きながら、男たちがもみくちゃにしてくる。
どうやら私をチベットに連れていきたいようだ。
旅の不安は一瞬で吹き飛んだ。
よくよく話を聞いてみると、チベットまでの長距離トラックを400元(約6千円)で斡旋してくれるとの事。
チベットに行けると分かって安心した私は、あまり深く考えず、その中の一人の男と約束を交わした。
男は手招きでついて来いと合図。
だだっ広いバスターミナルを横切り、色の少ない、人工的な作りの街を歩いていく。
ひんやりとした空気。
寒々とした街の景色の向こうには、灰色に連なる高い山々が、薄雲に覆われて、地の果てまでも続いている。
改めて、ここがチベットへの玄関口だというのを思い出した。
さっそくトラックに乗って出発か、とワクワクしながら付いてくと、民宿の前で男は立ち止まった。
明日の朝出発だから、ここに泊まれ。との事らしい。
男は続けて、「今日は一日くれぐれも外出しないように」と釘を刺した。
理由を聞くと、お前がチベットに行くのが警察にバレたらまずい。との事だ。
そういう事ならと殺風景な部屋に入り、大人しくしている。
後から分かった事だが、警察の話は嘘で。
街に出ると他の斡旋業者にもっと安い値段でチベット行きを持ちかけられるから黙っておきたかったのだ。
(400元とは、相当法外な値段だったらしい)
もちろん、泊まった民宿からも男はマージンを抜いていた。
そうとは知らずに部屋で呑気にしていると、いきなり部屋のドアがガチャリと開いて、チャイナドレスを着た女がズカズカと入ってきた。
私の金玉をギュッと掴むなり満面の笑顔で一言。
「你好!(ニーハオ)」
「ニ、ニーハオ…!?」
呆気にとられて固まった私。
じっと私の顔を覗き込む女。
およそ数秒が経過しただろうか、女はくるりと背を向け、チッ、と舌打ちして去っていった。
バタンとドアが閉まった時。
あぁ、男はついでに売春婦も斡旋したのか。と理解した。
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翌朝、朝靄に包まれたゴルムドのターミナルに、荷台にシートを被せた大型の貨物トラックが到着した。
フロントには、西蔵伝輸(チベット輸送)とデカデカと書かれている。
タラップをヨイショと登り、助手席のドアを開ける。
「你好!」
「你好!」
高地焼けした、浅黒い顔の小柄なドライバーのおっちゃんが、にっと笑って挨拶する。
薄くはげ上がった額、人なつっこい愛想笑いの笑顔。
ヨレヨレによれて、色の抜け切った土埃だらけのジャンパー。
おっちゃんがアクセルを踏み込むと、ブオーンと一呼吸おいてから、トラックはゆっくりと目的地に向けて走り始めた。
時速は大体60㎞くらいだろうか?
トラックはとにかく遅い。
のんびりと街を離れ、次第に勾配を登りはじめ、だんだんと灰色の岩肌の山間を縫うように分け入って行く。
道もしっかり舗装されているとは言い難い、所々アスファルトがひび割れていたり。欠けて崩れ落ちていたり。
ガタガタと振動がお尻に伝わってきて、むずむずする。
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ずいぶんと標高高くまできたようだ。
あたりに雲が立ち込めてきた。
切り立った断崖絶壁の下を見下ろすと、はるか下に、谷川が糸のように流れているのが見える。
真っ白に曇った視界の中。ガードレールもない悪路を、トラックはグングン進んでいく。
途中、沢山の人夫たちが作りかけの高架で作業する場面があった。
チベットへと続く鉄道を、急ピッチで工事中との事。
2008年の北京オリンピックを控え、こんな辺境の地にも建設熱はやって来ていた。
おっちゃんは英語が喋れないので、会話は、簡単な中国語と筆談で行った。
名前は?と聞かれて答えると。
「ゆうき」というのがどうも発音しづらいらしく。
ゆき、ユキ…。
ヤク…。
ヤク、ヤク!
と、私の名前はヤクになってしまった。
チベット人たちがいつも連れて歩いている、毛むくじゃらの牛のような家畜。
それがヤクである。
家畜だと思うと親みが湧いてきたのか。やたら話しかけてくるようになった。
おいヤク!お父さんお母さんはどこにいるんだ?
おいヤク!お前の民族は何だ?
民族は日本だと答えると。
あー、あの日本か〜。日本は良くないからな〜。
と、苦虫を噛み潰したような顔。
当時、定食屋に入っても、ラーメン屋に入っても、テレビを付けると反日の歴史ドラマが放送されていたから、まぁ、そう思われるのも仕方のない事ではあるが…。
おっちゃんの民族を聞くと、回族との事。
こんなチベットくんだりまで出稼ぎに来たのだろうか?
ボロを着た身なりといい、過酷な仕事といい。
少数民族の生活の大変さを、垣間見た気がした。
こうやって見ず知らずの旅行者を同乗させて小遣いを稼いでいるのだろう。
故郷の家族に送金しているから毎日大変だ。
とおっちゃんはこぼしていた。
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その頃、旅先で脂っこい中華料理ばかり食べて腹を壊していた私は。ことあるごとに、プーっと屁をこいていた。
おいヤク!
プーっ
おいヤク!
プーっ
はじめ笑っていたおっちゃんも、あまりに私が屁をこくのでイライラしてきたらしい。
おいヤク!それだめ!
プーっ
プーヤオ!(不要!)
プーっ
プーヤオ!(不要!)
プーっ
プーヤオ(不要)って言ってんだろ!
おっちゃんに毛布を投げられた。
そうのこうのしている内に、トラックはおもむろに止まった。
前をみると、同じようにトラックが列をなしている。
ついに検問に着いたらしい。
おいヤク、これ被っとけ!
おっちゃんに渡された毛布を被り、トラックの後部座席に丸くなって息をころす。
じっとしている事十数分、一台一台と順番は進み。トラックは検問のゲートでピタと止まった。
窓越しに警備員とおっちゃんが一言二言、会話を交わしている。
行ってよし。との事。
トラックはブロロロロとエンジンをかけ、走り出した。
意外とあっさり検問を通過。
何はともあれ、ここからは念願のチベットエリアである。
ほっと一安心していると、おっちゃんは、峠の休憩所にトラックを停めた。
1日走り通しだったので、今日はこのトラックターミナルで宿泊するらしい。
おいヤク、ラサ(チベットの首都)は良いところだぞ。ラサに着いたら、一緒にポタラ宮を見学に行ったり観光しような。
お勧めの食堂があるから、そこで俺がご馳走を奢ってやるよ。
でも…、今日は手持ちがないから、ここの旅館代はヤクが出してくれないか?
俺たち友達だよな?
ずいぶんと前口上が長かったが、つまりは宿泊費をおごってくれ。との事。
なかなか憎めないおっちゃんである。
快く2人分の宿泊費を支払う。
木造の、山小屋みたいな掘っ立て小屋に、他のドライバーたちと雑魚寝になって寝る。
グオーといびきの音が響き渡る。
富士山よりも高い標高。
夏場でも身震いするような寒さに、なかなか寝付けなかった。
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翌早朝、再びトラックは走り出す。
山を越え、ついにチベット高原に入ったらしい。
どこまでも、どこまでも地平まで荒野が続いている。
あまりの標高に木は育たないのだ。
コバルトブルーよりもっともっと濃い、強烈な青空が、手が届きそうな距離で一面に広がっている。
世界で一番、天が近い国。
遠くに、ぽつらぽつらとチベット民族らしき人影を見つけた。
ヤクの背中に麻袋を積んで歩いている。ラサへの巡礼の旅かもしれない。
歴代ダライ・ラマが暮らしたポタラ宮殿は、今でもチベット人にとっての聖地なのである。
持ち物は麻袋の中の小麦粉と、水汲み用のヤカンのみ。
食事は小麦粉とヤクの乳を混ぜ合わせて作る。チベット人の伝統食、ツァンパ。
そうやって、遥か遠くの村から、己の足だけを頼りに、何ヶ月も歩き続けるのだ。
中国が侵攻するまで、国民の4割が僧侶だった。という仏教の国、チベット。
この過酷な風土が、人々に強い信仰の心を育んだのかもしれないな。とぼんやり考えた。
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太陽が真上に照りつける頃、ようやくトラックはラサの市街へと入った。
ほぼ2日間にわたる長旅で、すっかりくたくた。
お尻も痛い。
街の角を曲がると、不意に、眼前にきらびやかに光る宮殿が現れた。
白地に赤と金のコントラストが美しい。
待ちに待った世界遺産ポタラ宮である。
トラックが路地に止まった。
2人の旅もここで終着。
おっちゃん運転ありがとう!
ヤクも達者でな!またな!
がっしりと握手を交わして、トラックを降りる。
トラックはブオーンと唸りを上げて。来た道をまたゆっくりと引き返して行った。
トラックが消えて見えなくなるまでじっと見送りつつ、心の中で思う。
やっぱり、ご馳走の話は嘘だったか…。
最後まで憎めないおっちゃんに、大きく手を振って。
旅の目的地、チベットの街へと、私も消えて行った。
(チベット・インド旅行記、後半へ続く)
【お知らせ】
チベット・インド旅行記後編の準備のため、しばらくの間。
絵本作家まえだゆうきの日常エッセイ「日々はあっちゅーま」を連載します。
お楽しみに!!
【チベット・インド旅行記】#18,カシュガル編はこちら!
【チベット・インド旅行記】#20,ラサ編はこちら!
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