バンド活動
【日々はあっちゅーま】
#30,バンド活動
旅をしたり、友達と遊んだり。
楽しい事がいっぱいだった高校時代だけれども、その中でも一番僕の魂を燃やしたもの。
それが「バンド活動」だった。
僕たちの学校では、体育祭や学園祭みたいな行事とは別に、「生徒たちが勝手にイベントを企画しても良い」という風潮があって、
僕たちは年に2〜3回、自主的にライブイベントを企画していた。
ライブのやり方だけど、まずはライブしたい日と、場所を先生たちに伝えて許可を取って、許可がおりたら告知をする。
廊下や掲示板に、
「◯月◯日、高2ライブやります!出演希望は2組の前田まで」
みたいな貼り紙をするんだ。
すると、休み時間中に、「僕たちも出演したい」「私も出演したい」という人たちが段々集まってくるから、みんなで放課後話し合いをする。
内装をどうしようとか、出演順はどうしようとか、集客はどうしようかとか、MCで内輪ネタを話さない、とか。
ライブで使う機材(マイクやアンプ、スピーカー)は軽音部、
照明は照明部が管理していたから、部員の友達に頼んで、準備の時から助っ人にきてもらう。
会場にはでっかいベニヤ板を立てて絵の上手い奴が絵を描いたり、暗幕垂らして真っ暗にしたり、即席でも結構それっぽいライブ会場が出来上がっていたのを覚えているよ。
もちろん、出演するからには練習も欠かせない。
僕は中2の時にブルーハーツにはまって以来、ベースギターを始めていたから、ライブではいつもベースを弾いていた。
同じ学年には他にも何人かベーシストがいて、特に僕がライバル視していたのが友達のナガタ君。
ナガタ君はベースがめっぽう上手くて、いつもイースタンユースのカバーバンドとかやっていた。
その頃のベーシストにとっての憧れベーシストトップ3は、
①イースタンユースの二宮友和
②レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー
③ベーシストのジャコ・パストリアスで、
僕も、彼らみたいにカッコいいプレイができる事を夢見て毎日練習に励んでいたんだ。
といっても、譜面も無いし、楽譜も読めない僕の練習は基本「耳コピ」だったけどね。
CDをデッキにセットして、ヘッドフォンで注意深くベースの音を拾いながら一つ一つコピーしていくんだ。
デドデド ドゥディドゥディとか、
ボボボボボボボボボ、デゲデゲ、ドゥダーンとか、
CDコンポの一時停止で1秒ずつ曲を止めながら、何度も繰り返して音を真似ていって、完成したら全部暗記していく。
ライブを企画していると、助っ人を頼まれる事もよくあって、
GO!GO!7188のカバーとか、スチャダラパーのカバーとかよくやってた。
ライブ前は覚えなきゃいけない曲が結構あって、ずいぶん苦労したのを覚えているよ。
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そうして曲が大体弾けるようになったら、友達と一緒に音楽スタジオで練習をする。
スタジオは所沢駅のバスターミナルがある降り口にあるスタジオノアとか、本川越のリンキーディンクスタジオ。
スタジオ借りるのは3時間で2000円ぐらいしてたから、友達と割り勘して、ちびちび練習してた。
なぜかスタジオ練習のあとは皆でラーメン食いに行くのが鉄板だったね。
きっとこれを読んでいる人の中にも、学園祭の実行委員をやったり、お祭りの準備をしたりしてた人がいると思うけど。
ライブの準備もそれに似た、みんなで力を合わせて一つのものを作り上げる感覚があって。
それがその頃の僕にはとっても楽しかったんだ。
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そうやって迎えたライブ当日。
バンドやったり、ヒップホップやったり、弾き語りやったり、ダンスやったり、詩の朗読したり、色々な事やる奴がいて。
こいつ楽器うめーなーとか、こいつカリスマ性あるな〜とか、いつも悔しい思いをしながら見ていた。
僕は友達のナベちゃんと、元ちゃんと一緒に、ハイロウズのカバーバンドをやっていて。
甲本ヒロトに負けないように、全身汗だくになりながらベース弾いたり、歌ったりするのは、割と好評だったんじゃないかな。
(調子に乗って全裸になった時は、担任の先生に頭はたかれたけど)
そんな風にいつも燃えていたライブ活動だったけど。
毎回ライブ中、会場の後ろの方で腕を組んでじっと出演者を見ている大人の人がいた。
僕たちのいっこ上の学年のSちゃんという女の子のお父さんとお母さんで、噂によると都内で音楽事務所を経営しているのだそうだ。
きっと両親で、娘の晴れ舞台を観に来たのかな〜。
なんていつも思っていたら、ある日、ライブが終わって片付けをしている時に、お父さんとお母さんがツカツカとやって来て、声をかけてきた。
「えっと、ゆうき君だったよね。いつもライブで観てるけど、君、いいよ。
君のパフォーマンスと歌、存在感。いつも良いと思って観ていたよ。
もしよかったら今度、うちに遊びに来ないかい?」
もちろん、社交辞令やお世辞もかなり入っていたとは思うけれども。
まさかの突然の誘いに、僕の心臓はドッキーンとした。
そして、Sちゃんのおじさんとおばさんは、僕に電話番号の紙切れを渡して去っていった。
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そうして何日かが過ぎたある日、都内の閑静な住宅地の一室に僕は呼ばれた。
落ち着いたセンスのいい書斎には、プロが使うような(プロなんだけど)機材やPA卓が置いてあって、すごくドキドキした。
おじさんは、僕にコーヒーを勧めた後、たわいもない音楽話をして。
その後に本題を切り出した。
「ゆうき君、もしも君がこれからプロのミュージシャンでやって行きたいと思っているなら。卒業した後、僕の事務所に来ないか?
良かったら、君の事を面倒を見ようと思っているんだけど」
おじさんはじっと僕の事を見つめながら言った。
まさか、そんなやりとりはテレビドラマの中でしか存在しない。
と思っていた僕は、すっかりカチコチになって、固まってしまった。
何も言えないまま沈黙が過ぎていく。
たらーと冷や汗が脇の下から伝っていった。
「あ、あの…僕…」
おじさんが目を細めた。
「僕、旅に出たいんです!
あの…、卒業したら旅人になるって決めてたんで…、
あの…、その…、つまり…、
ごめんなさい!」
一瞬、何事かと口を開けていたおじさん。
僕の返答を理解すると、我に返って大きな声で笑い出した。
「あはははは!旅!
旅か!まさか旅と来るとはね!
そっかそっか、旅か…、
それは残念だよ」
そして、おじさんは僕と握手をしてこう言った。
「でも、もしかしたら、ゆうき君にとっては旅に出て色々なものを観て、経験をする事の方が、いい曲を書く為にはいいのかもしれないね。
頑張って!」
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そんな感じで、半分夢見心地のようになりながらの帰り道だったけど。
電車に揺られている内に段々冷静になって来て。
「しまったー!どうしてあの時、素直にYESって言わなかったんだ〜!
もったいない事した〜!俺のバカバカ!」
と激しく、それは激しく後悔した。
「いや、きっとおじさん考え直して、もう一度僕にチャンスをくれるかもしれない!きっとそうだ」
と自分を慰めたりもしたけど。
結局それっきりおじさんとは連絡のやり取りもなく。
卒業してからは宣言通り。
僕は旅に出てバックパッカーになったんだ。
その時のおじさんの言葉が本当だったかどうかは、僕には分からないけど。
旅に出て、色々な所に行って、色々な出来事を経験したことは、
今も僕の奥の奥の方で確かに煌(きら)めいていて。
結果として歌ではなかったかもしれないけど、絵本のお話を考えたりする時には、その煌めきが顔を出す事がある。
とか言っちゃって。
その後、お父さんお母さんのプロデュースのお陰で、娘のSちゃんがデビューして、
割と有名な番組の主題歌とか歌ってるのを観た時には
激しく、それは激しく後悔したけどね!
後悔先に立たずとはまさにこの事です。
おしまい
お待たせしました!
次週から大人気冒険記
『チベット・インド旅行記』
連載再開です!
お楽しみに☆
【現代アーティストの方と対談をしました!】
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