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方丈記2020

駅沿いの家々が線路を高架対応することに合わせて、少しずつその姿を消していく。

子供の乳歯が抜け落ちるかのように、ランダムに姿を消していく。

乳歯が抜けた後には大人の歯が生えてくる。

その歯は乳歯より少し大きくて以前よりも立派だ。

ところが、家々は解体された後に同じ家屋が建つことは決して無い。

全く異なる建物となって街を刷新していく。

それまでの風景とは違った新しい顔へと化粧されていく。


駅から自宅に向かうまでの猫の道のような細い路地。
その路地に差し掛かるところにある家の解体が始まったのは3日前。

ここ数年は住居人もおらず、年々朽ちていく家屋はその解体を待っていたかのように埃を吐き出している。

家財道具が運び出され
庭木を伐採され
入ったこともないその近隣家屋には
過去にその家屋で響いていたであろう
会話を想像しながら
家の作りから昭和感が漂う。

# の模様が透かされたガラス窓
玄関先のシンプルな街灯の乳白色のガラス製の電灯カバー
小さな二階へと繋がる幅の狭い急な階段
ブロック塀に囲まれた庭木の奥に見える縁側
壁に残る火の用心のお札

守人が不在となれば
家屋が寂しさをまとい始める。

昭和に建てられた建物も
令和の時代まで残ったとしても
そこに住み続けることがなければ
寂しさが宿る。

そんな家々が消えていく姿を見ることが忍びなくて
この地を離れていく人もちらほらいる。
そのせいか抜け落ちる速さが増している気がする。


東京は2020年のオリンピック・パラリンピックを目指して目まぐるしく
乳歯が大人の歯に生え変わっていった。
街の景色がみるみる変わって行き
昭和から一気に令和へとシフトしていった。


さらにその先の未来は。。。

2100年

今から80年先の未来。


そして過去は。。。

今から80年前の過去。
昭和15年。
1940年。

太平洋戦争の一年前。
そして、その後日本は空襲を受けて家屋は一気に歯抜け状態になる。
世田谷の街も昭和20年の東京大空襲の折に被害があった。

戦後復興して新しい街が形成され、そしてまた新しい建物が建てられていく。
時代と共に街が変わっていく中で
同じ歯が生えてこないことを見届けていく。


こんな時に必ず引き合いに出てくるのは方丈記になってしまうのだが、

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。(鴨長明 方丈記より)

本の水にあらずよろしく
本の歯にあらず。
本の家にあらず。

1212年に方丈記が記されてから808年。
800年も前から何も変わらず営んできているサイクルの中の一環なのだと思うと
合点がいきそうなものだが、家屋の消え方はそれぞれ全く異なるものが姿を変える要因となっている。


800年前は、自然災害における無常感を伴い
80年前は、戦争という非情感が漂い
現代は、人間の意図した利便性を求める未来感を誘う

過去のものは突発的なものであり
現代のものは計画的ではあるものの
800年前
80年前に起きたことと
同じことが繰り返される可能性は0ではないのも確かだ。


それでも、そこに人が住んでいたということに変わりがなく。
住んでいたからこそ、その場所に思い出が詰まっている。
どんなに街の風景が変わっても。
そこにただよう空気感は変わっていない。


大学生の頃に住んでいた武蔵小金井は
高架施策によって街がすっかり変わってしまった。

学生の頃に住んでいた長屋も取り壊されて住居棟になっていた。
真新しい家屋に新しい家族の笑い声が聞こえてくる。

ある晴れたのどかな日に訪れて
学生の頃の空気を吸って帰ってきたことを思い出す。


今住んでいるこの街がきれいに次の歯が生えそろうのは、令和4年になるそうだ。

次の800年に向けた、2020年の方丈記。



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