読書量の謎
教員は、それなりによく本を読む生き物だと思います。もちろん、全然本を読まない先生もいます。それでも教員をやるには特に問題はありません。
本を読むかどうか、ひいては学び続ける姿勢があるかどうかは、もう人それぞれなのでなんとも言えませんが、
ただ、これが教科とはあまり関係ないところが少し面白いです。
体育の先生で、いつも本を読んでいる先生もいます。
国語の先生で、漫画ばかり読んでいる先生もいます。
忙しくて読書の時間をとれないという先生も多いのかもしれません。
僕は自分の知的好奇心に服従しているので、本はとにかく読みます。
とはいえ、やはり時間は限られている。
柔らかいのも硬いのも含めて、平均して年間100冊くらい。
本のおそろしいところは、読めば読むほど自分が無知だと思い知らされるところです。
読書に決まりなんかないとはわかっていても、「最後まで読まないと」とか「たくさん読まないと」とか、どこか追われているような気分になるときもあります。
「読書は量ではなく内容」とか「年齢によって同じ本でも読後感が変わる」とか、読書っていろいろです。
結局は、本との出会いも人との出会いと一緒なのだと思います。
さて、以前勤めた高校の社会科に、博識なおじいちゃん先生がいました。
「先生」と呼ぶのは失礼かもしれません。
「妖怪」みたいな人がいました。
当時、「もっと知識を身につけ武装しなければ」という謎の使命感に追われていた僕は、その、人みたいな妖怪に尋ねました。
「年間どれくらい本を読まれるのですか」
彼は「うーん」と言って、片手を開き、そこに指を1本添えました。
「これくらいかな」
「60冊ですか」
意外と少ない……いや、きっと読んでいるモノが違うのだろう……などと思っていると、
彼は笑って言いました。
「600だよ」
……いやいやいや、どういう計算なの。
多すぎませんか。
人ってそういうものでしたっけ。
やっぱ人じゃないのかな。
これがいまだに謎です。
こういう化け物みたいな偉大な先生がたまにいるのも、教員の面白いところだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?