本当に願っていたことは、幸福になることではなかったのかもしれない。
2022.12.9
自分に幻滅していたらしい。
ずっと気づきもしなかった。
決定的な原因はわからないけれど、
心当たりはありすぎる。
ニュートラルなはずの現実を、
理不尽と思って生きてきたのは、
根底にそんな思いを抱えていたから
だったのかな。
いくら赦そうとしても赦せず、
認めることもできず、
愛したくても愛せなかったのは、
自分に幻滅していたから。
自己嫌悪のはるか先、
存在否定に至った原因。たぶん。
自分であることを諦めてしまった。
いつかの私が、自分を捨てた。
一
幻滅していたことに気づき、
愛せるようになろうと決めた。
昨日の夜。
今朝になったら、
愛されなかったことばかりの日々も
幸せだったのかもしれない。
なんて思い始めている。
現実は、ニュートラル。
私の心の反映。
愛されたい私は、
愛されようとして、
現実を不幸にする。
そんな望まない現実から
逃れるために幸せになろうとした。
つまり、
幸せを求めていたのは、
私が作り出した不幸を生きていたから。
私が本当に願っていたのは、
幸福になることではなかった
のかもしれない。
愛されたかったから。家族に?
もしくは、自分に。
自分を愛せないから。
自分に幻滅していたから。
なら、
自分を愛することができれば、
現実は不幸ではなくなるはず。
理屈の上では簡単なことなんだけどね。
自分を愛するって、
どうしたらいいんだろう?
幸せを感じられる自分って、
何をしているんだろう?
そもそも、不幸ってなんなんだろうね。
幸せは条件ではない。
今あるものに気づくこと。たぶん。
気づくことのできる自分であること、かな。
いい事があるから、
いい人生になる訳ではない。
いいも悪いも体感できること。
生きている事そのものが、
ありがたい事なのかもしれない。
感じることが幸せなら、
生きること全てが幸せになる。
悲しみも、苦しみも、恨みつらみも、
心が動くことそれ自体が幸せ。
なら、自分に幻滅する必要もない。
むしろ、幻滅することも幸せの一部。
なんて理屈ではわかるんだけれどね。
そうは思えないよね。
私というエゴは。
ニ
自分に幻滅したことで、
私はどう変わったんだろう?
愛されたい不足感は、
私をどう導いた?
その感情は、
どんな現実を生み出した?
過去を振り返ると、
ネガティブなことばかり浮かんでくる。
人生の全てが不幸だったはずないのに、
愛せれなかった記憶ばかりだ。
不幸にしがみついていた。
愛されないことは、不幸だ。
けれど、不幸なら?
誰も愛さなくて済む??
愛さずに済むから、不幸でいるの?
過去を、今を、未来を不幸にしておけば、
私は誰も愛さずに済むの?
愛されていたいくせに、
愛することは嫌なの?
なんで?
割に合わないから。
愛しても、報われないから。
愛されていれば、安心できる。
愛されていないと、不安になる。
愛することより、
愛されない不安を選んだのは、なぜ?
愛したら、与えなくてはならないから。
楽しいひと時を。
一緒にいて、楽しい、面白いって
感じてもらうこと。
それが、私にとっての愛することだから。
って、ハードル高っ。
人を愛するためには、
芸人並みのウィットとか必要じゃん。
楽しむかどうかは、相手の自由。
なにより、相手の反応によって、
自分の愛を測られるって、辛くない?
永遠に相手を楽しませなきゃならないんだよ?
そりゃ、割に合わないよね。
本当にそれが愛することなら。
愛することが、一緒にいて楽しいことなら、
楽しいと思えない時間は、愛がないことになる。
愛されていないとしか、思えないよね?
私が楽しくなかったら、
相手は私のことを愛していない人になってしまう。
暴君ですな。
三
私にとって、愛することってなんだろう?
一緒にいて、楽しい。面白い。
そう感じられる相手なら、
自然に愛するだろうね。
私のことを嫌いな人は別にして、
嫌いとは思っていない人が
笑っていなかったら?
一緒にいても楽しくない
と私が思ったら、
相手に嫌われていることになるの?
それは、変だよね。
相手の態度で変わってしまうことを
愛とするのは、もう止めよう。
愛されたかった私には気の毒だけれど、
愛されるかどうかは、相手の自由だから、
求めるほどに、相手に支配されてしまうよ。
愛されたいから愛するというのは、
不幸なことだよ。
なので、愛とは?
を新しく設定しよう。
真理かどうかは問題じゃなく、
とりあえず、今の私が思うこと。
概念なんて、
その時々の気分で変わるもの。
という前提があれば、
後で間違いに気づいても、
そりゃ、変わるよね。
時と共に生きる人間なんだもん。
で、済むから。
さて、愛を新しく設定するなら、
赦すこと、かな。
合わないところは、お互いの業。
相性が悪いのは、業であって、
相手の人格や考え方ではない。
私たちは、誰もがエゴによって
恐怖を植え付けられ、
新しいことを避けるように
誘導されている。
自分との違いを恐れるから、
自分を変えることを赦せないでいる。
相手を赦すことも出来ず、
正しくもない正しさを根拠に
戦っている。
合わない部分は、
互いの業がぶつかっているだけ。
裁かず、責めず、偽らず。
相手のあるがままを赦すこと。
それを、愛ということにしてみよう。
とりあえず、今日のところは。
fumori
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