しなければならないことなんて、ないのかもしれない。
「しなければならない」って価値観は、何なんだろう?
思いつくままをノートに書き殴っていたら、したいことが、しなきゃならないことに変わっていた。
いつの間に?
ノートを見返すと、快から不快へ感情が切り替わる境界線がクッキリと。したいことに割り込んでいたのは、不安だった。
しておかなければ、問題になる。
かもしれない。
しておけば、安心。
心配しなくて済む。
安全に生きられる。
そう。私の「しなければならない」の正体は、保身でした。
自分の価値観とは違うけれど、社会的に果たさなければならない義務。それを「しなければならないこと」だと思っていたのに、万が一を避けるため、何事も起きないように手を打って、安泰に行きたい。
よもや、そんな執念深い欲望だったとは…
嫌だけど、我慢して、やらなきゃならないこと、なんかじゃなかった。誰かの価値観を押し付けられたりもしていない。
安全という価値観を選び、達成するための条件を面倒くさいと感じている私がいただけ。本音を言えば、できるけどやりたくない。
それが、私の「しなきゃならないこと」でした。
なら、しなくてもいいこともあるのかもしれない。
保身のために自分で選んだのなら、しないことだって選べるはず。背負える範囲のリスクなら、しなくてもいいことに変わるのでは?
背負えるリスクって、どの程度だろう?
謝れば許してもらえること。
お金を払えば、解決できること。
しなければならないことの多くは、誰かの信頼を失うことを怖れている。周囲に迷惑をかける。自分を裏切る。
なら、信頼を取り戻せる範囲が、背負えるリスク。責任?
それを責任にすると、重いかも。
許す許さないは、相手の領域。許してもらえる範囲かなんて、私にはわからないのに、そこまで範囲を広げている。
お金で解決できるかどうかも、相手次第。お金で済む問題じゃないから、クレーマーが溢れている時代なのに。
私の責任には、相手の機嫌まで含まれている。だから、抱えきれないほど重すぎて、責任を放棄してしまうのかもしれない。
殆どは、誰かが何とかしてくれるって末っ子根性だとしても…
出来ないことはしない。
当たり前のことだけど、無意識にやろうとしていた。
やってしまったことで、相手の機嫌が悪くなったとしても、できることは、謝ること、補償することくらい。そこまでが、責任。
今の私に背負える範囲。そこまでは、やろう。
どうしたら納得してもらえるか?
それを考えることは、責任ではないのかな。誠意かも。
相手の機嫌は、相手のもの。
けれど、迷惑をかけたなら、取れる範囲の責任は取る。
責任は、行為。謝罪と保証。
私の落ち度に関しては、誠意を示す。
相手の落ち度については、考えない。相手の落ち度まで、背負わない。
この結果と、これに至った自分の落ち度。それに対する感情。思い。
誠意は、残念で申し訳ない気持ち。
選べなかったのは、負えない責任を先読みして、怖くなっていたのかも。責任と誠意の区別がなく、範囲も広すぎた。背負える範囲に戻そう。
相手の機嫌まで抱え込まないように。
相手の領域に踏み込まないように。
相手の責任を放棄しよう。
しなければならないことなんかないのかもしれない。
することを決めておくだけ。
何かあったら、取れる範囲の責任を取り、誠意を示す。
出来ないことはしなくていいし、やりたくないことなら、やらなかった責任を負えばいい。
忖度だって、法律を守ることだって、私が選んだこと。
人生に起きることは、私の責任の範囲内。その代わり、相手にも自分の責任は取ってもらう。
相手の機嫌が悪くなることは、怖い。怯んだり、不安から逆ギレするかもしれない。素直になることは、苦手。本音を伝えることは、震えるほど怖い。
それでも、する、と決めた。だから、する。
謝罪と保証。申し訳ないという気持ちを伝える。相手の為じゃなく、自分の為に。
大丈夫。たぶん、失敗するから。するって決めて、一発で出来たことなんか、あったっけ?
失敗しても、私なら大丈夫。
自我は、何がなんでも私を守ろうとする。
相手のせいにしたり、現実のせいにしたり、仕方なかったと思わせてくれる甘くて優しい奴だから。
私には、最強のSPがついている。
背中を預けて、決めたことをやろうとして、失敗してみたらいい。自我の甘さに負けて、保身に走ってもいいから、やってみて。
そうしたら、きっと始まる。人生が。
fumori
自己肯定感を高めるチャレンジ 5日目
やっていること
朝のアファメーション。ノートへの書き出し。
心掛けているこ
現状を否定しない。
今日、パッピーになれそうなことを探す。
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