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人生とは、結果でも、経験ですらないのかもしれない。

自分の幸せと歓びにコミットしよう。

そう決めたのは、
世界の幸せを願う自分でいたいと思ったから。

たぶん、願うことは、本能みたいなもの。
願わずに生きることなんて、出来ないもの。

なのですが、私の場合、
願うほどに現実は不幸になる傾向がある。

自分を愛せないから、
誰かに愛して欲しがってしまう。

愛されることが目的なので、
愛されている限りは、
仕事も家事も頑張れる。

けれど、望むように愛されない現実は
もれなくやってくる。

現実の殆どが、不幸になってしまう。

そして、不幸な私は、
この世界の幸福を願うことはない。

現実が理不尽だから、自分は不幸せ。
と、思っていたくらいだし。

なので、世界の幸せを願うためには、
自分が幸せであること。

幸せであろうとし、
自分で歓びを与えられるようになること。

自分自身を大切にすること。
優しく扱うこと。

自分の幸せと歓びに、コミットすること。

私自身を愛することが、世界を愛すること。
私自身が変わることが、世界を変えること。

「私が幸せなら、世界も幸せ」
「世界の幸せは、私の幸せにかかっている」

そのくらい勘違いして、本気出そう。
幸せであろう。
自分を喜ばせよう。

だから、誰かの一言で、
自分の幸せや歓びをあきらめないでね。

私の幸せは、世界の幸せ。

誰かの一言を真に受けて、
世界を不幸にするつもり?

私の世界が不幸になっても、
その一言を言った人の世界は、
幸福だったら、どうよ?

私の世界の幸福は、私しか選べない。

誰のせいにも出来ないんだよ。
選んでいるのは、私なんだもの。
責任を取るのも、私。

なら、私の人生は、私が選んで決めてゆく。

人生は、結果ではない。
経験ですらないのかも。

どれだけ本当の自分で生きられたか?

時間ではなく、深度なんじゃないかな。

fumori

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