天国へのお引越し
こんにちは、
社会人大学生のまどかです。
最近、私は「死生観」について考える機会が増えました。
それは恐れや悲しみを伴うような重苦しいものではなく、
むしろ「生きる」ことを深く見つめ直す時間です。
これまでの私の経験や、ふとした気づき、
そして私の尊敬する様々な人が、様々な言い表し方で
死生観についてを表現する素敵な言葉に触れる中で、
死というテーマを通じて、
自分の中で何が大切かを少しずつ整理できているように感じます。
◾️「天国へのお引越し」という捉え方
澤円さんがVoicyで語っていた
「死」を「天国へのお引越し」と表現する考え方。
この言葉を初めて聞いたとき、
なんて温かいんだろうと感動しました。
死を忌まわしいものとして捉えるのではなく、
人生の中で何度か経験する「引越し」と同じように、
ただ「この世からあの世へ住まいを移すこと」と捉える。
その程度のことだ、と言われると、
肩の力がスッと抜けたような気持ちになります。
▼該当の澤さんVoicy
▼澤円氏 著書
引越しというのは、私たちの生活の中で頻繁にあることです。
環境が変わり、新しい場所での生活が始まる。
慣れるまでは不安があるけれど、
そこで新しい出会いや発見がある。
そう考えると、死もまた「生きる」という営みの一部なのかもしれません。
◾️抽象度を上げる、メタ思考を取り入れる
澤さんが普段から大切にされている
「抽象度を上げる」や「メタ思考」といった視点は、
澤さんの死生観にも深く関係していると感じます。
私たちはつい、
「死」を感情的に、しかも悲しいものとして捉えてしまいますが、
それを一歩引いてみる。
すると、「死」は単なる概念であり、
人生の一つの出来事として捉えることができるのです。
この視点を取り入れることで、私は
「死」を忌避するのではなく、
「人生をどう生きるか」に意識を向けられるようになりました。
◾️希死念慮との向き合い方
私自身も長いこと、希死念慮に悩んでいました。
「長く生きたいとは、どうしても思えない」
という感情がずっと胸の中にあって、
「終わらせるなら、今ではないか」
という思いが、何かの拍子にふと顔を出すのです。
こわいこわい。
でも今、私はその感情を抑え込むのではなく、
うまく付き合うことを選びました。
「長く生きたいと思えないなら、せめて後悔のないように生きたい」
という考え方にシフトすることで、
その気持ちを少しずつポジティブなエネルギーに変えている最中です。
このVoicyで澤さんは
「自分の思考を学生に残せたら、生きた証になるかも」
とおっしゃっていました。
DNAを残すことだけが生きた証ではなく、
自分の思いや価値観を他者に分け与えることで、
自分の存在が未来に繋がっていく。
そう考えると、生きることの意味が少しだけクリアになった気がします。
◾️「生きる」の反対は「生まれてこないこと」
以前の記事にも書きましたが
メキシコの「死者の日」の考え方にも大きなヒントをもらいました。
死者を恐れるのではなく、感謝と共に迎える。
そこには、「生きていること」の価値を見つめ直す哲学があります。
この考え方から、
「生きる」の反対は「死ぬ」ではなく「生まれてこないこと」だ、
という言葉が心に浮かびました。
私は今ここに存在していて、生まれてきたことに意味がある。
「お誕生日おめでとう」
という言葉の素晴らしさも感じるわけです。
死について考えることは、
実は「生きる」ことを考えることに他ならないのだと思います。
人生は一度きりで、その終わりもいつかは必ず訪れる。
その終わりを、恐れではなく、
感謝や穏やかさで迎えられる自分でありたいと願っています。