24時間テレビを見たくない人がいても良い。チャリティーの意義とヤングケアラーだった当事者の思い②
前回のつづき
24時間テレビを否定するわけではありませんが、障がい者の家族を抱える者としてはテレビで映る障がい者の姿をみることができないのです。
理由は前回の記事にも書いてありますが、自分のきょうだいとテレビに映る障がい者の方では差があったからです。
障がい者が障がい者を差別する。
そういった見方をしてしまう瞬間も当事者家族には起こる感情です。
いま思うとわたしたち家族は障がいをもつきょうだいのお世話に疲弊していたのかもしれません。
当時はいまのような放課後等デイサービスなどの機関もなく、障がい者の子がいる場合は家族がみるか施設に入るかの2択だったような気がします。
特に夏休みに入ると親のため息が大きくなります。
学校が休みに入るとずっと家にいるのですから。
どこかに連れていこうと思っても人の目がありますし、安心して子を遊ばせる場所というのが限られているからです。
そしてその期間は仕事も休まざるを得ないという状況にもなります。
✅障がい児をもつウチの母の姿
うちの母は専業主婦でしたが、それは母親いわく子をおいて仕事にいく時間がなかったからだと言っていました。
もちろん障がいをもっているお子さんのいる家庭でも仕事をしながら育てている母親はたくさんいますし、その子の将来をおもって仕事にまい進する親御さんもいます。
いろんな考えや意見があるでしょうが、うちの母は専業主婦という立場を選びました。
ただ当時の福祉はいまほど整っていなかったのが事実であり、若い年齢の母には障がい児を一人で世話をするということが負担だったのだと思います。
スーパーマーケットや外食に行くときは、いつもきょうだいであるわたしを隣に連れていきました。
「〇〇(きょうだいの名前)をみていて。お母さんのところにはいなくていいから」
母親の隣に並んで買い物をしたくても、気になるのは多動の傾向のあるきょうだいです。
わたしはよくそう言われて買い物のときなどはきょうだいの後をついて見ていました。
外食に行く時も、きょうだいが食べられるものがおいてあるお店を選ぶのが基準です。
きょうだいが食べ終わったらすぐにお会計を済まして出ていく。
空気を読まず、大声を出したり奇声をあげるきょうだいの姿に、周りの視線がこちらに向いているのも分かっているけれど、気づかないふりをして無視するのも慣れました。
そうしないと心が持たなかったのでしょう。
わたしはいまでも人の目が気になりつつも、人の目を意識しないようにふるまうことが得意です。
あえてみえる世界、視野を狭くすることがポイントです。
そうすればほかの人の目線はみえなくなるんです。
これって変な特技ですね。
続きは次回
古い本ですが、きょうだいの抱える悩みが書かれている一冊です。