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その先にある光を閉ざしたのは誰か

歯医者の待合室で流れた今日のニュース。

千葉県内で真夜中に自宅侵入されて襲われたという惨い報道。
闇バイトの可能性があることを示唆していた。


到底、理解できない。

他人の権利を侵してまで、自分が得することに何の罪悪感も覚えずに生きているその性根は、そう形成されたのだろうか。


養育環境が良くなかったんじゃないかという反論はあろう。

そのくせ、いつまでの親のせいにするなと世間は叱責するだろう。

結局その人の問題なのだろう。


大学で憲法を学んだ。
法学部の一年生が受ける最初の授業だ。

Fラン大学と言われるところだったから、大した内容ではないと思うが、初めて権利について学んだ気がした。
私はその授業が好きだった。真っ当な人として生きていく、大事な感覚を養ったように思った。


日本人が大事にする「何か」を学ぶ機会は少なくないか、と思っている。

万人に共有する教科書がないのだ。


イメージで言ってしまうが、「神は見ている。だから清く生きなさい。」と言われたら海外の人は、どの神が見ているのかイメージできるのじゃないだろうか。

宗教というと日本ではイメージが悪いが、本来、他人同士が良しとされる考えを共有できる手段として適していると思う。

それが原因でうまくいかないこともあるけれども。


クリスマスを楽しみ、正月を楽しむことは素晴らしいが、結局のところ芯のなさが、他者との空気を読む文化が形成され、それに悩む人も多いんじゃなかろうか。

Let it be やらThis is me やら自分らしくあることよりも、大変なこともあるけどっていう応援ソングが人気を博している違いなのかもしれない。


宗教も、哲学もなく、こうありたいって思い描く頻度が少なく、将来の自分の姿の解像度が低いまま大人になってしまう。


闇バイトに手を染めるってのは、そういう結果なのではないだろうか。

楽に金を得て、いい思いをする。そのためなら他人を貶めてもいいなんて、どこの教義にもない。



突き詰めていくと、そんな簡単なもんじゃないのだろうが、願わくば憲法が日本人として大切にすべきものの集合であったり、教育が自分の人生に迷った時に手助けになる手段であってくれると嬉しい。


価値観が多様化しているからこそ、基礎があっての各自の応用じゃないのか。
共通する基礎を作ることは、国にとって至上なことじゃないのだろうか。


そういう大切なものを形にできる人間になりたかった。
思いがあって、考えが強すぎる。
私は本当に職業としての全体の奉仕者に向いてないと思う一面である。


本当は闇バイトの対義語について書こうとしていたのに筆が進み全然違う方向に落ち着いてしまった。

また今度。
私の発想と記憶力は光るものがある。

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