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彼女の『オズビック鳥』 〜ある勉強会で〜
絵本の勉強会に参加している。
本来は子どもの絵本が対象なのだけれど、時には大人のための絵本も登場する。
昨日の勉強会で、私は早速ゴーリー作『オズビック鳥』を紹介した。
絵本のあらすじを話して、実際に開いて絵を見せる。
どうしておすすめなのかを簡潔に(これが案外難しい)伝える。
そして、参加者が質問したり、いろいろ。
「子どもでも、いけるかも」
「ちょっと難しいんじゃない?」
「雰囲気はいいよね」
みたいな感じ。
読み聞かせをすることを前提にしているから、どう読むのかも話題になる。
そんな中、昨日初めて勉強会に参加した方が「私は……」と手を上げた。
「このお話は、夫婦の在り方に似ていると思います。
オズビック鳥は、『長く一緒に暮らす意図』を持って、山高帽に止まりました。
そして、お墓の上にしばらく留まった後、意志を持って飛び立ちました。
夫婦も、『意図』を持って一緒に暮らし、一緒に夕焼けを眺めたり、お茶を飲んだりします。時には『私はカードゲームは嫌いよ!』って喧嘩をして、口をきかなくなることもあります。それでもまた、一緒に何かをしたりします。
そして一方がいなくなった時、お墓の前でしばらく佇んでも、また意志を持って前へ進んでいくんじゃないでしょうか」
私はびっくりした。
なんの理由もなく、私はオズビック鳥はオスだと決めつけていたから。
フィングビー氏との暮らしは『気ままな男の二人暮らし』だと思っていた。
だからどちらかというと、フィングビー氏の視点から、オズビック鳥を見ていた気がする。
あんなに仲良くしていたのに、あっさり去っていくなんて、男の友情だって結構薄いじゃんーーーと思っていた。
そして『意図』より、さらさら流れる時の方に気を取られていた。
だけど、オズビック鳥がメスだったら、「夫婦」っていう視点もあるのか。
同じものを見ながら、人によって見え方はずいぶん違う。
彼女にとっては、そういう見方がきっと自然なのだ。
そんなふうに見えるような、人生の経験があったのかもしれない。
本の読み方は一様ではない。
そんな「当たり前」のことを再認識したひとときだった。
そして、自分とは違う読み方をする人の人生を、いつかたずねてみたいと思うひとときでもあった。