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今は少し鈍い光の中にいる

わたしはわたしの声をもっと聴かなければと思うことがほとんどだ。


自分の書いた言葉が、自分の塗った色が、引いた線が、すべてそう言っているよ。もっとできるよ、もっと進めるよって言ってるよ。
こうやって何度も、自分の置いたものを行ったり来たりしながら、やっと腑に落ちていく。自分と会話していく。

どうしたらいいの?
もっと遠くまで届きたい。もっと前に進んで行きたい。

見てほしいです。
それが上手く表せない理由は自分なりにあるんですが、言い訳していてもしょうがなくて、要するに「もの」が無いのに言葉だけでどれだけ頼んだって仕方がないと思うんですよ、だけどわたしはいまいち自分で「もの」が何なのか分かっていなくて、今あるものでも「もの」と感じてくれる人がいれば使ってもらいたいし、「ものにならない状態」というのが何かになるのかもしれないと思うから、自分で簡単に切り捨てずに誰かに見てもらうようにしたほうがいいんだと思います。

「こんなものは使えない」
「わたしは何もできない」
「誰の役にも立たない、何にもならない」
そういう否定がわたしの中でどうして起こるのか、それは述べる必要もないのですが、とにかくわたしは自分自身をそう打ち消そうとしてしまうので、放り出すみたいなやり方をどうか許してほしいです。

具体的な言葉を使うのが怖い。
抽象的にしておかないと壊れてしまう気がする。
誰かを傷つけたり何かを踏みにじったりするのが怖い。(踏みにじろうと考えているのではない。自分ではそんなつもりもない行動によって傷つけてしまう可能性があるのではないかと思うだけで恐ろしい。)

わたしが打ち消した「わたし」の中にきっと、誰かに渡すべき気持ちがあるんだよ。だけどわたしは自分の判断で勝手に打ち消してしまう。無かったことにする前に出さなければ。自分で自分の思考を盗むように。
わたしの内側に感じているものを外に出すことをわたしはたいそう恥の伴うことと思います。わがままで、自分のことしか考えていない、見苦しい存在であるように思います。

それでも構わないのです。恥ずかしい人間だというふうに見られても構わないのです。
わたしは生きていたいので、わたしは、わたしの抱える大事なものと、生きていきたいので、成さなければならないのです。
生きていくにはそうするしかないんだよ。

自分の中の100パーセントの光を使わなければわたしは生きていけないんだ。わたしという人間はきっとそうに違いない。
恥ずかしくてもいい。「まだ」何かを持たないあなたに、持ち得る何かを渡しに行かなくては。
わたしにはわたしがいるからいいんです。大丈夫なんですよ。傷ついても構わない。

この葛藤もごく普遍的なものに見えるのかもしれません。普遍的でいいのです。この普遍性が、まさに誰かに伝えるべきことなのだろうと思うから。

どうかよろしくお願いします。


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