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三日坊主日記 vol.223 『米売り場から米が消えた』

宮崎、神奈川と地震が続いている。


これ以上起こらないこと、大事に至らないことを祈るしかない。ちょっと不謹慎かも知れないが、我が家は防災グッズや食糧、水などの備蓄を一切していない。阪神淡路の後はさすがに暫くきちんと備えていたが、長続きはしなかった。というか、一週間やそこら分の備蓄をしたところで何の役に立つんだという思いがある。だから今回、南海トラフ地震への監視強化とかいわれても、何ひとつ買い足しはしなかったし、そのつもりもなかった。が、それが裏目に出た。


昨日、米がなくなったのでスーパーへ買い物に行ったら、米売り場の商品棚が空っぽ。何ひとつ残っていない。更にはミネラルウオーターも全て完売。これにはちょっと参ってしまった。有事でもないのに食べる米がない。いや、もう既にな有事ということか。念のためにと多くの人が米を買い漁った結果、意識の低い我が家はしばらくひもじい思いをする羽目になってしまったのだ。あの忌まわしい1970年のオイルショックを思い出してしまう。何年経っても、どれだけ世の中が進歩しても、人間の行動は変わらないということか。


地震といえば、映画「日本沈没」が僕にとってトラウマになっている。誰とどこへなぜ見に行ったのかは全く覚えていないが、映画館で見たのは間違いない。調べてみると1973年公開。ということは僕が小学校の5年生か6年生の時だ。ストーリーもキャスティングもほとんど覚えていないが、ラストで日本列島が半分沈み、生き残った人々がゾロゾロと陸地を求めて歩いている。いや、もしかしたら日本全土が水没したんだろうか。記憶は定かでないが、とにかく衝撃的なラストシーンだったことは間違いないと思う。


大袈裟ではなく、僕はしばらくの間そのシーンが頭から離れなかった。いつ大地震に襲われるのか、いつ日本は終わってしまうのか、その時が来たらやはり自分もこの世からいなくなるのだろうか。そんなことばかり考えていた。原作の小松左京さんは、高度成長期が終焉を迎え、いく先の見えない日本に対するアンチテーゼのつもりで書かれたのか。それとも、本当に地震大国日本の未来を予言して書いたのか。いずれにしても、とてもリアルだったし、当時11歳の少年にトラウマを植え付けるほど強烈な作品だったということだ。


以降、各地で何度も大地震が起こり、映画さながらの大惨事を招き、多くの人々が犠牲になっている。映画でさえトラウマになっているのに、実際に大きな被害に遭われた方の心中はいかほどのものだろうか。日本列島に住む限り地震という自然災害は防ぎようがないのかも知れないが、少しでも被害が小さく済むことを祈るしかない。そして、もし何かがあった時には、冷静に利他的に対処したいものである。



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