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三日坊主日記 vol.224 『英語の翻訳と映画の字幕』

以前作った『ニジェール物語』という短編映画に英語字幕を入れている。


23分程のアニメーション映画なのだけど、この作業が結構大変なのだ。もちろん(と自慢するものではないが)僕が英訳するのではない。以前、英語の堪能な日本人女性と、日本語の堪能なニュージーランド人女性がタッグを組んで英訳してくれていたものを、今回僕が映像に当てはめているのだ。


この『ニジェール物語』という作品は絵本を原作にしていて、主人公である『僕』のモノローグで構成されている。すなわちセリフの翻訳ではなく、文章の翻訳だからなおさら難しい。しかも、独特の文体とリズムで書かれた唯一無二の物語(だからこそ僕はこの物語を映画にしたんだけどね)。その世界観をなるべく忠実に伝えたいんで、苦労している。


翻訳というのはとてもとても大切で、尚且つ難しい。直訳すれば良いというものでは全くない。また、意味が伝われば良いというものでもなく(最低限意味は伝わらないと困るんだけど)、文体とか、ニュアンスとか、行間とか。翻訳する人によって全く違ったものになるのだ。


例えば、帰国子女で英語も日本語もネイティブだけど、文才のない人がいるとしよう。一方、英語はあまり得意じゃないがとても上手な文章を書く人がいる。どちらの翻訳文が人の心に訴えるものになるだろう。100人の翻訳者がいたら、100通りの入力装置があって100通りの出力装置がある。原作は同じものでも、誰かが翻訳した時点で全く別物になるのだ。


村上春樹さんはご自身の作品だけではなく翻訳書も多く出されているが、それらはやはり村上さんの書く文章になっている。他の人でも同じことで、言語を変えるということはもう全く別の作品にするということで、その言語を最終出力する人の作品になるのである。


また、文章で読むのと映画の字幕として読むのとではずいぶん違う。英語圏の人に日本語の意味はわからなくても、言葉(声)があるところに字幕があった方が自然だし、何も喋ってないところに字幕があるのは違和感があるだろう。日本語と英語では文法も文節も違うから、途方に暮れてしまう。


一例をあげよう。「今は荒れて… 雨も少なく… 動物なんか、住めやしないけど… その頃… ここには、草や木が… 生えていたんだろうね…」(...のところでゆっくり間を取っている)というモノローグがある。そこに、"Animals could never live here now ‒ a wasteland with hardly any rain ‒ But there must have been grass and trees around here back then. " という英訳を割り振っていく。この英文をどこでどう切るのか、切らないのか。できるだけ日本語のモノローグのテンポや間にあわせ、ニュアンスと意味が伝わるように。


何より歯痒いのは、僕がこの英訳文を読んでもニュアンスが全く分らないということ。そしてもっというと、これが良文なのか悪文なのかの判断さえできない。英語としては間違いないのはわかるが、この物語が持つ良さがちゃんと表現されているのかどうかわからないのだ。だから何かにつけても確信を持ってやれないし、作業が遅々として進まない。


本当は、翻訳してくれた人たちと一緒にこの作業ができれば良いのだが、理由あってこの英訳文は5年間ほど寝かせてあった。そんなこともあって、今更お願いする訳にもいかないのである。


表現というのは本当に難しい。更にいうと、コミュニケーションというのは本当に難しい。難しいからこそ楽しいんだけどね。



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