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三日坊主日記 vol.64 『人を感動させるということ』
録画していた島津亜矢さんの情熱大陸を見た。
普段演歌を聴かないし、歌番組も殆んど見ないので、この人のことは顔以外何も知らなかった。
カメラは、彼女が元気に笑顔で精力的にステージを重ねる姿を追い、そして生い立ちを紹介し、ちょっと落ち込んだりする出来事もあるけど、それでも何かに挑戦し続ける。いわゆるいつもの情熱大陸だ。
しかし、この人の歌を聴いていると(もちろんテレビ越しに)、なんだか熱いものが込み上げてくる。とにかく歌が素晴らしいのだ。低音も高音も伸びやかにパワフルに歌う。圧倒的な声量と歌唱力。番組の後半でアレサ•フランクリンを歌うシーンでは、なぜか涙がボロボロと溢れてきた。
人を感動させるというのは凄いことだ。しかもテレビを通してたった数分歌って涙を流すほど感動させる。並大抵のことじゃない。というか奇跡である。
歌を聴いて感動するように、スポーツを見ていて感動することもある。どちらも自分には到底できないことを、その人は血が滲むような努力を重ね続けて成し遂げている。そんな背景を想像して感動するのだろうか。
我々が暮らす映像業界はどうだろう。もちろん、感動の映画や映像はたくさんある。だけど、多くはストーリーが進むに連れて登場人物に感情移入していき感動するのであって、なかなか瞬時に涙することはないと思う。
僕がまだまだ若くて何者でもなかった頃。当時CM業界で感動モノを撮らせたら右に出る人はいないという演出家がいた。
その人は東京の第一線で活躍していて、僕には全く接点がなかったが、作品集を手に入れてじっくりと見たことがある。誰もが良く知るCMが何本も並んでいるんだけど、見ているうちに涙が込み上げてきた。
その時は純粋に作品に感動したのもあるけど、自分がいまいる場所との大きな違いや将来に対する不安とかジレンマとか。いろんなモノが入り混じって感情のコントロールが効かなくなったのだと思う。
いずれにしても、人は圧倒的なモノを見た時に感動するんだろう。僕は死ぬまでに圧倒的なモノをつくれるのだろうか。
今日はこれからある企業へのプレゼンテーション。そしてそのあと京都へ。