黒島伝治『渦巻ける烏の群』
プロレタリア文学
プロレタリア文学には、長い年月の評価に耐えるものと耐えないものとがある。
直截的に政治を主題にしたり、階級闘争的な観点から労働者を主要人物に据えた小説の耐用年数が短いのに対し、黒島伝冶の「農村もの」や農民小説(「電報」「豚群」など)は独特のリアリズムとユーモアを兼ね備えていて今でも読めるものだ。
「渦巻ける烏の群」の入った短編集が岩波文庫にあることからも、読み継がれていることがわかるだろう。
黒島伝治は1919年、23歳のときに早稲田大学の高等予科へ入学したが、徴兵されて衛生兵として入隊し、東部シベリアの陸軍病院に派遣された。
このシベリア出兵はロシアの十月革命に干渉するために行われたもので、1918年から1925年の間に総勢7万3千人の兵力が送り込まれた。日本はシベリアの反革命勢力と手を結んだが、労働者や農民で組織されたパルチザンの激しい抵抗にあった。
シベリアもの
黒島伝治はシベリアで一年間を過ごし、「隔離室」「雪のシベリア」「橇」「渦巻ける烏の群」などのいわゆる「シベリアもの」の反戦小説を生み出した。
「渦巻ける烏の群」は、雪の広野に駐屯する部隊を描き、権力を振う大隊長の嫉妬のせいで、一中隊が雪の中に全滅する経緯を描いている。
激しい抗議を込めた小説なのだが、さまざまな文学的な興趣に尽きない作品でもある。たとえば、第二節からシベリアに駐屯する日本兵が自由時間を利用し、現地のロシア女性がいる家へ食料品を土産に足しげく通う様が描かれる。「家庭の温かさと、情味とに飢え渇して」いるからだが、そこには兵士の恋愛と欲動の入り混じった競争がある。
異文化コミュニケーション
興味深いのは、日本の植民地主義的な政策によって派兵された兵士が、現地の「革命を恐れて、本国から逃げてきた者」や「西伯利亜に土着している者」と片言で意志疎通をはかる話し言葉のありようだ。
「今晩は」(ズラシテ)、「サモワール」「ソペールニク」(競争者)「マイヨール」(少佐)といった、挨拶の言葉や翻訳しづらい名詞が日本兵の会話のなかに入ってくる。
反対に、家族のために食料品をかすめとろうという強かなロシア女性の方も「ヨシナガサン」といった具合に日本語を使っている。
握手をしたことがなかった吉永という日本兵が、握手と同時にするリーザという女性の目の動き、だらりとした手の出し方などで相手の心を読むようになるくだりがいい。二つの異文化が出会う場所における、言語外でのコミュニケーションの仕方が生き生きと描出されている。
水の描写
小説の最後、雪のなかで行方不明になった中隊が、春先に雪の解けはじめた矢先に死体となって発見される。無論、そこに群がる烏の描写には、身勝手に権力を振るう大隊長への怒りが込められている。だが、それ以上に、ここでは水の描写が活きている。
雪解け、快い音を立てて流れる雨だれ、谷間へ流れる急流、まだ氷が張っている河。雪の間から死体が露になり、烏に貪りつつかれているのを発見するとき、兵士の靴には水がしみ通ってくる。この箇所は凄惨な描写であると同時に、鮮烈なイメージを結ぶ「水」の描写に支えられている。