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(7)映画作家と土地性 アニエス・ヴァルダ

 撮影カメラを人物や風景など何かの「対象」にむけてイメージを撮る必要がある映画というメディアでは、ドキュメンタリーに限らず、フィクションのロケであっても「画面内」に事物が映りこむ。それは作家やスタッフの意図の外部であり、映像が持つ「自生性」を意味する。
 それと同時に、映画に限らず文学やアートなど、あらゆる表現された作品に、それが制作された社会、文化、土地の風土が多かれ少なかれ影響を与えることは言をまたない。ここでは、土地性をうまく自分の表現に取りこみ、作品の力に変えている映画作家たちの例を考えてみよう。

『カリフォルニアのアニエス・V』   


海辺のインスタレーション

 二〇一八年の初夏に、アニエス・ヴァルダの個展を見にいった。原宿駅に近いビルの五階にあるギャラリーに入ると、正面に立てられた一枚の白壁があった。晴れ間の見える空のしたにある浜辺の映像が映されている。壁画のようでもあるが、それは微細な動きをつづけている。少し高くなった壁の台座には、俯瞰で撮られた砂浜に寄せては返す波のイメージが、別のプロジェクターによって投影され、その先には実際に白い砂が敷きつめられていた。二〇〇九年に制作された『海岸』Bord de Merというインスタレーション作品である。そのほかにも、会場には一九五〇年代から六〇年代に撮影されたという、猫をモティーフにしたビンテージの写真作品が数点展示されていた。
 電車や車の走る音、人びとの喧騒、都市が排出する熱気のなかを抜けて、ギャラリーに逃げこみ、なんの変哲もない海景のまえで波音に耳をすませた。すると、とてもおだやかで落ちついた心持ちになった。アニエス・ヴァルダは南仏の港町アルルで生まれ、幼少期はブリュッセル近郊の浜辺に通い、戦後はセートという地中海岸の港町に移住して、一時期は家族とともに船上生活を余儀なくされたという。ヴァルダと浜辺のふかい関係は、自伝的なエッセイ映画『アニエスの浜辺』(二〇一一)でも描かれたのでよく知られている。南仏の小さな漁村で処女長編『ラ・ポワント・クールト』を撮ってから六〇年のあいだ、華やかな芸術活動をつづけてきた作家が、どうしてこんなにシンプルなインスタレーション作品をつくったのかが気になった。そのとき、同じ港町セートの海辺に座って真昼の太陽のしたで打ち寄せる波を見つめながら、神々の静寂のなかで思索をめぐらせたポール・ヴァレリーが書いた一編の詩、「海辺の墓地」の一節が頭にうかんできた。

知覚し得ない泡沫の数々の金剛石[ダイヤモンド]を
鋭い燦[かがや]きの 何といふ純粋な働きが 閉じ込めていることか、
そして何という平安[やすらぎ]が 懐胎されそうに見えるのか。
深淵の上に 太陽が身を憩う時、
永遠の素因が生んだ純粋な二つの作品、
「時間」は閃き、そして「夢」は即ち智慧となる。[註1]

 堀辰雄が自身の小説のなかで、ヴァレリーの「海辺の墓地」のフレーズを引用し、「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したことは有名である。アニエス・ヴァルダも長い人生の航海においてさまざまな問題に直面したときに、ヴァレリーのごとく浜辺の風景を見つめて思案し、「風が吹いてきた、さあ、生きていこう!」と思ったのだろうか。静かな浜辺に波が打ちよせて、それが白い泡をたてると、太陽光があたってダイヤモンドのように光かがやく。ヴァレリーはそこに永遠が生んだ「時間」と「夢」というふたつの作品を見たのだが、それこそまさに映像メディアが現実世界からすくい取るものではないか。ヴァルダの『海岸』というインスタレーションには、悠久の光景が表現されており、その場所にずっとたたずんでいたいと思わせるものがあった。彼女のアートと浜辺の関係を掘りさげ、ふかいところにおりていくために、ヨーロッパの大西洋岸でも地中海岸でもなく、アメリカの西海岸というあまり語られてこなかった浜辺について、わたしたちは考える必要がある。

ヤンコおじさん

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