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阪神・淡路大震災26年目の遺族の気持ち

私の祖母は、今から26年前の阪神・淡路大震災で、倒壊した家屋の下敷きになって亡くなりました。

まさか自分がそんな死に方をするなんて、きっと夢にも思わなかったでしょう。

26年前のあの日

叔母から、

『2階の部屋に寝ていたのに、気がついたら家がぺしゃんこになって道路に投げ出されていた』

と連絡を受け、行方不明になった祖母を探しに大阪から向かったあの日。

被災地の様子は、毎年テレビでも流れている通り強烈なインパクトだったけど、私が覚えているのは些細なことばかり。

・渋滞がひどくて、トイレに行く機会がなく、丸一日トイレを我慢したこと。

・瓦礫の山と化した家を、素手で掘り起こしながら、瓦礫の硬さに驚いたこと。

・全壊した瓦礫の中にポツンとトイレだけ立っていた光景が滑稽だったこと。

・金庫を発見し、中のお金を確かめたがる弟を不謹慎だとたしなめたこと。

・布団ごと運び出された祖母の亡骸が異常にぺたんこだったこと。

・血まみれの布団に吐き気を覚えたこと。

・荼毘に伏すまで祖母の死顔を直視できなかったこと。

梁の下敷きになって圧死した祖母は、遺体で埋め尽くされた小学校に運ばれました。

母は、家庭科室の調理台の上に横たえられた祖母に付き添い、たくさんの遺体と共に一晩を明かしました。

復興後、あの調理台では子供たちが無邪気に調理実習をしていたんだろうか。

そう考えると少し寒気がします。

あのとき、全てが異常だった。

祖母を探すのを手伝ってくれた、隣の家の高校生の娘さん。

自分の両親は家の下敷きになり、叫びながら助けを待つ間に息絶えていったというのに。

どんな気持ちで祖母を探すのを手伝ってくれたんだろうと思うと、いま彼女が幸せになっていてくれますようにと心から願わざるを得ません。

人間のもろさと強さ

当時の助かった人々の結束力はすさまじいものがありました。

この死を無駄にしてたまるか。

助かった命を無駄にしてたまるか。

という気迫があった。

時に強烈な憎しみや怒りでしか乗り越えられないこともある。

血を流しながら、生きなければならない時もある。

なんのために?
なんて考えていたら壊れてしまう。

とにかく今日一日を生きることだけ考えろ!

私は直接の被災者ではないし、あくまで被災者の遺族という立場だけれど、当時肌で感じた空気感は私に大きく影響を与えました。


人間はなんともろく、なんと強いのか。

私がその観念に魅了されるきっかけとなったのが、まさにこの阪神・淡路大震災です。

祖母はあっという間に死んでしまったけれど、生き残った祖父と叔母は、その後もたくましく生きてくれました。

「私は被災者なんだから大事にしなさい!」

とややハラスメントまがいの言葉を吐きながら、たくましく生きていく叔母の姿を見るたび、「なんでもパワーに変えられる人間ってすごい」と思ったものです。

不謹慎かもしれないけれど、

簡単につぶれてしまうもろい肉体の中に、どんな出来事に遭遇しても這い上がれる強い精神を宿した人の姿は、泣けるほど美しい。

全てを強く与えなかったのは、まさに神の采配だと思うほどに。

身内の死を経験して思うこと

震災の7年後、弟が投身自殺をはかり、彼もまた肉体が滅んでしまったわけですが、身内の死を経験して思うことは、

私たちは簡単に壊れてしまう肉体をもっているからこそ、自分を大事に扱わねばならないということ。

不屈の精神だけではダメなんです。

自分を慈しみ、大切に扱うことができてこそ、強い精神が保たれる。

私たちの身体はもろい器だから、大事にしなければいけないよ、そんなことを神が教えてくれているように思います。

自分の心が弱い、と感じている人は、きっと自分を大切に扱えていません。

どうせ自分なんか、とないがしろにしてしまっていることが多いはず。

人間はいつ何が原因で死んでしまうかわからない。

でも人間の価値は平等です。

その尊さは、赤ちゃんだったころと何も変わらない。

誰もが同じように、大切に扱われて当然。

ならばまずは自分自身を大切に扱うこと。

それが精一杯命を輝かせて生きることにつながるはずだから。


最後に。
阪神・淡路大震災で亡くなられた方、被災された方、家族を亡くされた方に追悼の意を捧げます。

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