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2024中国 玄奘こと三蔵法師は3日に1冊の速さで翻訳し続けた①

ども、世界遺産ハンターのMackyです。

年始に西安の文化的なシンボル、大雁塔のある大慈恩寺に行ってきた。
これ実はあの三蔵法師で有名な玄奘が652年に建てた塔。
インドから持ち帰った経典や仏像などを保存する建物として、木造ではなく煉瓦造りにしたお陰で1300年以上経った今でも残っている。
訪問と同時に色々と玄奘について学んで、その凄さに感動したので皆に共有したい。

玄奘、凄過ぎな人生

玄奘は止められたのに一人でインドに出掛けた!

簡単に玄奘について書く。
まず、玄奘は小さい頃から仏教を学び、同じく僧のお兄さん長捷と暮らしていたらしい。そして、しっかりと仏典を学んで様々な高僧に教えを請うも、イマイチ真の教えに辿り着けないと思ったらしく、唐王朝に出国の許可を求めた。
ただ、王朝が立って間もなく国内情勢が不安定だったことから許可が下りず、一人で密出国した、とのこと。

トンデモナイ。帰国したら張付け獄門の刑でしょう、これは。

途中で援助してもらった高昌国は唐に滅ぼされる

途中で高昌に立ち寄り、仏教徒である王から援助をしてもらい、帰国時に寄って欲しい旨を伝えられる。きちんと帰りに寄ろうとしたが、高昌国は唐に滅ぼされていた。

悲しい事実…


インドで修行。約10年滞在

約4年ほどかけてインドに辿り着く。
インドの大学できっちり学問を修め、約10年経った後に帰路に着く。
この時には、インドでも有名な僧になっており弟子も居たそうな。

言葉の壁もあるだろうに、弟子まで取って凄すぎ。


そして、出国から約17年を経て、大量の経典を長安に持ち帰った。
帰国時には情勢が変わっており、皇帝太宗から密出国について罪に問われることはなかったという。

持ち帰った経典を3日に1冊のペースで翻訳

これが一番驚愕の事実。
持ち帰った経典のうち、残りの人生賭けて1300巻以上を翻訳。
何と3日に1冊のペースで翻訳したとのこと!

書き取ることは弟子なりに任せたようだけど、それにしたって凄い。それまでの翻訳はインドから来た僧によって伝えられたものだったようで、本当の意味での翻訳、意訳をするにはやはり両方の文化、考え方の理解と経験などがいるのだろう。当時は玄奘にしか出来なかった大役だったに違いない。

今でも、直訳することで本来の意味やニュアンスが失われてしまうことは多々あるので、この偉業を成し遂げた玄奘凄過ぎ。

日本でよく知られる『般若心経』も玄奘三蔵の翻訳!
サンスクリット語で書かれた経典を中国語で翻訳したもの。
新訳と呼ばれ現代に至るほど。
「色即是空 空即是色」とか良く聞きますね。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

Wikipedia:般若心経

言われてみれば、元はインドから来たものと理解できるけど、般若心経が有名過ぎてこれが原書かと勘違いしてしまうほど。

いやぁ、玄奘凄すぎ。


玄奘の書いた「大唐西域記」。弟子によって書かれた「大慈恩寺三蔵法師伝」。

そんな凄い玄奘が書いた旅の記録、是非見てみたい!
と思って調べると、旅の記録が書かれているのは主に二つ。

玄奘の書いた「大唐西域記」と、その弟子らによって玄奘の死から24年経って書かれた「大慈恩寺三蔵法師伝」がある。

日本語訳されているものを探すも、多くが「大慈恩寺三蔵法師伝」の方。
これは、西遊記の元にもなった玄奘の生涯と旅の様相を綴った本。先生はこんなに凄かったんだよ、と伝える本である。

自分はなるべく他人が介在しない玄奘自身が書いた「大唐西域記」を読みたかったので、しばらく探すと1999年に翻訳された本を見つけた。
それ以降、新しい本は出ていないようだ。

玄奘の書いた「大唐西域記」の最新の翻訳、1999年。


「大唐西域記」は読み物としてはあまり面白くない


何とか手に入れてワクワクしながら読んでみた。
これは久々に心躍る古典と巡り会えた予感!

玄奘の書いた「大唐西域記」。各国の客観的な事実描写のみ。


ウキウキしながら本を手に取ると…
これはもはや旅行記ではない。
大量の各国の情報が詰まった百科事典のようだった。
訪れた国々の風習や文化などがつらつらと説明されているのみ。
もっと西遊記の元となるお話として
「ここでこんなに大変な思いをした。でも何とか乗り切ったのだ!」
みたいなノリを想像していたのだが、全く違っていた。
極めて客観的に各国の説明がされていた。

これは歴史研究家にとって非常に重要な参考史料なのは間違いない。
若干、玄奘のバイアスが掛かっている表現もあるが、十二分に素晴らしい史料。
自分が想像していた旅行記は、玄奘ではなく、玄奘の死後お弟子さん達によって作り上げられた「大慈恩寺三蔵法師伝」の方に記載されているらしい。
まあ、若干の誇張なり想像が含まれているだろうことは想像するに難くない。

「きっとこれも仏様のお導きなのだろう」とか書かれていそう。
想像だけど。


玄奘の辿った道のり。インド国内も隈なく移動しており改めて凄過ぎ

玄奘の辿った道のりが参考として添付されていた。
インドは訪れたことがあるが、かなり広い。自分は飛行機や夜行バスを駆使して周遊したが、それでも辛かった。2300年前にそんな文明の利器は無いから、相当の苦労をしたのだろう。
旅は好きだけれど、強い志と目的がなければこれは達成できようもない。
改めて玄奘凄すぎ。


ちなみに、実は、自分は翻訳本の最初と後書きに書かれている訳者の苦労話の方が面白かった。
この手の本は、中国でも何度か当時の言葉で現代訳されていたり、その現代訳に基づいて日本語に翻訳されたり、はたまたその昔に翻訳された本を参考にして新訳したり、ともはや伝言ゲームのように訳され、一部が失われていたり、順番が途中で入れ替わったり、中には意味が異なっていたり、と酷い有様なのだそうだ。
玄奘もそういった状況から原著に当たりたいとインドに出向いたのだろうが、この水谷訳者もかなりの参考文献と訳注を施して翻訳されていた。

確かに、今はなき各国の習俗を現代語訳で書き綴るのはかなり難しいだろう。知らないものは翻訳できないだろうから、かなり苦労したと思われる。

一次ソースに当たれ、は今も昔も変わらず大事なこと。加工物ばかり消費していると噛む力が衰えてしまう。

中国語に興味を持って勉強しているのもそれが一つの理由。
直接自分で感じられるようになるから、と信じて。


さて、次の記事では実際に玄奘が建てた大雁塔にフォーカス。
大雁塔の歴史的文化価値の素晴らしさと、西安の不夜城の現代的な楽しみ方について伝えたい!

皆さんは玄奘(三蔵法師)についてちょっとイメージが変わったりしましたか?コメントやフォローよろしくです。

大雁塔を背景に数多くの女性達が着飾って写真を撮っていた

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