日本アート社会とインターカラーからみる日産アートアワードという出来レース
数年前に日産アートアワードというのができまして、
一回目は確か「宮永愛子」が受賞されました。
しかし、この日産アートアワード以前から、
宮永愛子は日本のアート社会で猛プッシュされていたのは、
僕だけが知っている事実ではありません。
それに加え、
宮永愛子はナフタリンの昇華という現象を作品にしたという、
しょ〜もない作品です。
その作品が日産アートアワードのグランプリで、
そもそも、
日産アートアワードは日本人作家の国際的プレゼンスを、
高めるためという名目で創設されたものですが。
僕の目からみれば、
より日本人作家の世界的プレゼンスを無くすものでしか無い。
簡単に言うなれば、この日産アートアワードは。
日本の「アート村社会」「クローズド社会」を、
いかにも「オープン化」しましたよっていうフェイクなのです。
これはインターカラーのような構造と非常に良く似ています。
皆さんはインターカラーをご存知でしょうか?
インターカラーというより「流行色」と言う方が解りやすい。
最近はその「流行色」も陰が薄くなってきています。
インターカラーは国際流行色委員会という、
まさに「流行色」を決める機関なんですね。
意外に知られていませんが、「流行色」とは人為的に作られた、
ただの「規格」なのです。
これはある一定の「既得権益」を確保する為に行われています。
それはあらゆる産業、
とくに繊維業などはその色を大量生産できる様に準備しています。
この流行色は2年前に決定されています。
しかし、最近ではその流行色も流行しない色になっています。
ようは日産アートアワードで選ばれる「作家」は、
インターカラーの「流行色」と同じなんですね。
つまり業界の「規格」を作って、
既得権益を確保し、利益の最大化を計る場所に過ぎません。
ようは色んな業界のパワーバランスや利益確保などで、
色々な派閥が集まって話合い「作家」「流行色」を決める。
このような構造です。
未だにこんな事をしているのが日本のアート社会です。
まだ世界のアートマーケットの方が、
市場原理が働き健全だと思えます。
というか宮永愛子の作品が。
世界的なアートマーケットでどれだけの価値があるのでしょうか。
村上隆より高価に取引されているのでしょうか。
まったく世界ではプレゼンスなんて発揮できてないわけです。
もう受賞から2年が経とうとしているのに。
日産アートアワードなどは出来レースです。
そしてそれを支えているのは、
日本の「クローズド社会」であり「日本アート村」なのです。
世界は、とくにアメリカなどはアートマーケットの成熟とともに、
アートがオープンソース化されています。
市場原理というものも一つのアートのオープンソース化です。
僕はアートのオープンソースを目指していますが、
少なくとも日本においてはアメリカのような、
アートマーケットを中心にしたオープンソース化は難しい、
その様に考えていますが。
少なくともこのような見せかけの、
日産アートアワードのようなものは潰していかなければならない。
今年も日産アートアワードが行われグランプリが発表されます。
そんなものは糞です。
作られた「規格」を僕たちはぶっ潰すべきです。
もっと「オープン」にアートがされるべきであり、
糞みたいな「権威」「利権」は絶対に許しません。
日産アートアワードの発表を前に、
この文章を書かせて頂きます。
美学者母