尊敬する美術家、彦坂尚嘉さんに批判と否定をされたので、それについて論考する(あなたが尊敬する人に対して批判できないのならそれは信仰でしかない)

僕は過去にも現在にも未来にも、
現にあった事実しか言説しません。
しかしそれは美学者母の認識であり、
私と違った認識があることを否定しません。
私の認識として現にあった事実だけを述べます。


(通算44回切断芸術展に僕が参加した経緯)

まず経緯からお話しますね。
2020年6月30日に彦坂尚嘉さんに師事している、
糸崎公郎さんから、
2020年9月1日〜2020年9月7日に開催の、
「切断芸術展」のオファーがありました。
その時点で、
狭山美学校の運営とお茶と美の開設等で、
東京の会場へは伺えないという旨は伝えています。
また糸崎公郎さんからも、
東京や会場へ来なくても、
作品送付してくれればいいという、
その様なやりとりをしております。
もちろんやりとりのデータは残っています。
その後糸崎公郎さんから何の連絡もないので、
8月8日に直接、
彦坂尚嘉さんに連絡をし、
展覧会へ参加したいという旨の連絡をしています。
彦坂尚嘉さんからは、
糸崎公郎さんが連絡をするのを忘れているかも、
ということで彦坂尚嘉さんから、
糸崎公郎さんに再度連絡をとってもらい、
その後8月19日に糸崎公郎さんから、
作品展示に関する問い合わせの連絡がきました。
この時点で、
糸崎公郎さんには簡単な作品のコンセプトは、
説明させていただいています。
それはそもそも作品を展示しないという、
ウェブインスタレーションとしての参加であったので、
その様な説明なしに、
キャプションだけの展示はできなかったのは自明で、
この時点で簡単なコンセプトは伝えているわけです。
さらに8月8日の彦坂尚嘉さんとのやりとりでも、
東京と会場に来なくてもいいという連絡は、
メッセージでデータとして残っています。
そして、
作品がウェブ上にあるというものが、
キャプションのみ展示されるという形で、
通算44回切断芸術展に参加した、
これが今回の、
通算44回切断芸術展に僕が参加した経緯です。


(彦坂尚嘉さんが勘違いしている次元の違い)

(添付画像参照)

画像1


まず
このスクリーンショットは、
彦坂尚嘉さんが9月19日に投稿したものです。
はじめ彦坂尚嘉さんがなぜ、
私を軽蔑し、駄目で、お付き合いしたくないのか、
ちょっと理解できなかったわけですwww
その上で、
今回彦坂尚嘉さんの、
怒りの様な投稿があり、
私としては検証しなければならないと考え、
この様に彦坂尚嘉さんとのやりとりを、
時系列としてまとめてみたのです。
そこから理解できたのは、
もともと彦坂尚嘉さんは、
僕が東京や展覧会場へ行けないことを、
僕にオファーを出した時点から理解していた。
さらにいうと、
僕は2020年8月31日に大怪我をし、
肋骨を四本折り、
どちらにしても東京や展覧会場へは、
行けなかったわけです。
その上で、
作家としては、
作品を送るだけで良い。
それは私以外にも何名か、
作品送付で参加されています。
しかし彦坂尚嘉さんとしては、
展覧会を観てもいないのに、
美術評論家の宮田徹也さんの言葉を借りて、
評論家的に展覧会批評をしていること、
それが受け入れ難い事の様です。
しかし皆さんには、
僕が書いた文章を読み返していただきたい。
この様な言説も私の造形作品の重要な要素なのです。
「通算44回切断芸術展に美学者母が参加した意味」
https://www.machromatic.net/column_0388.html
「通算44回切断芸術運動展を終えて」
https://www.machromatic.net/column_0389.html
(美学者母は創造者である)
これらの文章を読んで彦坂尚嘉さんは激怒、
しているわけなのですが、
そもそも私は、
この様な言論活動自体に造形性を見出し、
それを「アート」とする、
その様な創造者であるので、
そこを理解してもらえなかったのは、
非常に残念ではあります。
今回の、
「通算44回切断芸術展」の参加は、
そもそも「展覧会」という様式、
つまりフィクションとしてのアートへの、
批判として、参加し、
「展覧会」に参加しながら「展覧会」を批判する。
その様な二律背反的創造行為であったわけです。
つまり「展覧会」を主催した彦坂尚嘉さんが、
この様な言説に対してネガティブな反応をされる事、
それは初めから予見できている事なので、
これは私の責任として甘んじて受ける所存です。
そしてその言説の内容も読んでいただければ、
自明のことなのですが、
僕自身は「展覧会批評」を書いたつもりは、
全くないし、
そもそもその様な内容ではない。
それは題目上でも理解できますが、
「通算44回切断芸術展に美学者母が参加した意味」
「通算44回切断芸術運動展を終えて」
私がなぜこの展覧会に参加するのか、
そして展覧会を終えて何を残せたのか、
その様な基本的に、
美学者母としての作品の解説です。
しかし私の作品が展覧会の様式を壊す、
その様な展覧会の「無意味化」ですから、
もちろん大枠として、
展覧会そのものの有り様に踏み込むことは、
当然ですが、
それはあくまで私の作品を言説する上での、
ものであるわけです。
だからこそ展覧会に出品された、
作品の個々には言及していません。
もっと踏み込んで言えば、
私は「通算44回切断芸術展」を、
美学者母としての「作品材料」に使った。
その様な端的な言い方もできるでしょう。
その様な事からも、
私は「美術評論家」的に「展覧会批評」を、
書いたのではない。
「創造者」の「美学者母」としての作品、
「切断芸術(ウェブインスタレーション)」の、
「作品の要素」として、
この様な言説を書いている。
つまり私のこの様な言説は、
「批評」でもなんでもない。
「造形作品」なのである。
(美学者母はインテリではございません)
彦坂尚嘉さんは良い意味で、
僕の事を勘違いしてくださっている。
その様に感じてしまうのですが。
僕はインテリでもなんでもなく、
ただのストリート育ちの下層の人間です。
府営団地で育ち、
幼馴染にはヤクザや裏社会の人間、
グラフィティライターとして違法行為。
その様な事は、
今ままで何度も言説してきています。
僕の事を長年フォローしていただいている。
その様な方々には理解していただけると、
考えますが、
この様に言説をし、
言説そのものに「造形性」の、
可能性を見出す。
それが私が創造し、
現に活動している様式であるので、
この点はどうしようもありません。
(最後に)
そもそも僕はアート界や美術業界、
またその周辺のコミュニティで、
何か地位が欲しいとか、
ポジションが欲しいという、
欲求を持っておりません。
つまりその様な政治に興味も無いし、
参加するつもりもありません。
つまり僕は、
現在においてアートで、
評価されようとか、
理解されようなんて考えていない。
さらに、
現在の美術とかアートとか、
小さな世界は、
ど〜でも良い。
むしろそこで相手にされない方が良い。
なぜなら現在の美術やアートが、
無能すぎるからで、
逆にそんな所で評価されたら、
美学者母の美意識は崩壊してしまうわけです。
何にしろ、
今回彦坂尚嘉さんには感謝しており、
また尊敬している事には変わりません。
また事実として、
この様な軋轢にこそアートの可能性があるのであり、
彦坂尚嘉さんに師事されている方は、
多数おられるのですが、
その様な方々も、
彦坂尚嘉さんを批判し、
軋轢を産み出す事をオススメします。
現状観ていると、
彦坂尚嘉さんに対して、
ある種の「信仰」が産まれている。
それは宗教における偶像崇拝と、
同じ状況であると、
私は考えています。
美学者母

画像2


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