狭山美学校というコンフォートゾーン(インフラとしての狭山美学校)
2018年の台風21号の被害も大きかったのですが、
直後に北海道の地震と日本の自然災害の多さを改めて感じ、
また皆様の不安の解消や、
災害復旧がいち早くできる様願っています。
幸いに私たちは、
それほどの被害はなかったのですが、
近辺でも屋根が飛んだりと、
自然災害の爪痕を残しています。
また大阪では、
現在でも停電が続いている所もある様です。
ここまで直近の災害の話なのですが、
この様な災害も、
私たちや、
私たちが運営している狭山美学校と、
かなり関係している話でもあります。
私たちは自分たちの作品の延長として、
「狭山美学校」を立ち上げました。
そしてプラットフォームとしての側面も、
ある程度意識して計画しました。
それはコミュニケーションのプラットフォームとして、
価値観の違う人々が寄り合える場としての、
場所の設定でした。
しかしその様なある種私たちの想定は、
いい意味で現在裏切られているのです。
狭山美学校をオープンして2年以上経ちますが、
その間にも大きな災害が何度もありましたが、
そのたびに避難場所として、
狭山美学校に宿泊をされる被災者の方がいます。
今回の台風でも、
大規模停電で避難されてこられました。
この周辺にはほとんど宿泊施設が無いために、
ようやく狭山美学校を見つけて、
安堵の表情を浮かべてこられる、
そんな被災者の方々の顔を見ていると、
改めて私たちの存在意義を、
強く感じるのです。
初めはある種、
自己表現の形としてスタートした、
「狭山美学校」なのですが、
最近は自然災害だけでなく、
色々な事情で、
「狭山美学校」をご利用いただいています。
例えばこの様な感覚は初めてなのです。
私はサラリーマンもしていましたし、
アーティスト、批評、評論、
色々なことをしてきました。
それはある側面においては、
全て社会貢献しているわけですが、
その様なものとは全く違う、
もっと人間の根本的な魂に、
何か感じたことのない感覚を抱きます。
ある意味独我的に創った「狭山美学校」が、
この地域の、
いや日本のインフラとなっている、
その様な意味の反転が、
私の心を大きく揺さぶっているのです。
人間の世界とは不思議なもので、
自分の為にと思ったことが、
他人の大きな助けになったり、
他人の為にと思ったことが、
他人の大きな迷惑になったりします。
基本的に私の人生の哲学は、
「自分の為」に「最善を尽くす」ことです。
私は強く思うのです。
自分の為にできないものが、
他人に何ができるのかと。
私は確信していますし、
この様に実践しています。
偽善など必要ないのです、
余すことなく全てのエネルギーを、
自分の為に使い尽くすのです。
しかしそれは、
時に他人の大きな助けになっているのです。
自分本位に他人の為にと思ったことは、
大抵本当の意味で、
他人の為になっていない事がほとんどです。
自分の為に真剣に懸命に生きていける人こそが、
他人の大きな助けになるのです。
美学者母
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