■反戦と反天皇
「文学」と「作家」への道(15)
「詩人の独り言」改
◇佐高信「反戦川柳人 鶴彬の獄死」(集英社新書、2023年3月刊)
以前は、評論家、佐高信(さたかまこと)の書く記事や出演する番組などちょくちょく読んだり、見たりしていた。激辛スナックなどと呼ばれた彼の政界、財界批判が面白かった。久しく佐高のことなど関心がないままだったのだが、この本を読んで、この人がずいぶんと文学に造詣の深い人と知った。
内容
鶴彬(1909-38)は、石川県生まれの川柳作家。
といった反戦、世相をえぐる内容の川柳を発表しており、川柳界の小林多喜二とも称され、多喜二と同様に獄中で死んだ。
この本が、書評で紹介されてすぐに図書館で予約したが、何人か先約があり、すぐに鶴の川柳が読みたい、と思って古い新書を借りて読んだ。
それは、一叩人「反戦川柳人・鶴彬―作品と時代 (1978年、たいまつ新書)。
佐高の本は、世間的に鶴を掘り下げて書き、その存在を知らしめたやはり川柳作家である一叩人(いっこうじん、1912-99)の仕事による部分が大きい。一叩人がまとめた鶴の全集は絶版になっていたが、それを増補改訂して再版したのが作家の沢地久枝(1930-、まだ存命である)。
そのあたりの経緯を含めて、佐高の本書は書いている。
昨年のソ連、いやロシアによるウクライナ侵攻を機に、ぼく自身も下手な反戦詩を書いているつもりだ。
現在61歳、来月62歳のぼくに戦争体験があるはずはないが、亡母が引き揚げ者だったり、父親も短期間兵隊に行った(内地で終戦)という間接的な知識しかないのだが。
戦争を超える、人間と命を考えさせるテーマはないのだから、強い関心を持つのは当然だと思う…。
それは措いて、佐高のこの本では、彼の思想性が随所に現れている。
沢地が天皇制という臍の緒につながれた一つの昭和-という歴史観を示しているのに対し、司馬遼太郎が天皇というものを外せば歴史が見えてくると言っていることについて、「最も難しい、最も厄介な問題を無視して『見えた』歴史が歴史であるはずがない」と佐高は司馬批判を示している。
ぼくもこの意見には賛成で、なるほど、と思った。
佐高は司馬批判と同時に、逆の視点を持つ藤沢周平、城山三郎といった作家を持ち上げている。
この新書は、反戦川柳の鶴のことより、佐高自身の思想性をアピールする嫌いはあるが、いろいろと面白い。読みやすい。
日刊ゲンダイのネット版に書いている彼の記事も読んだが、その商業ベースに乗った辛口はツボにはまると一層面白い。一読を勧めたい。
鶴彬に対して、もっと書くべきなのに、佐高のことばかりになってしまった。
命を賭して反戦詩を書くような時代、国でないことをありがたい、と思いたい。